オウム 真理 教 の ビデオ 事件。 坂本弁護士一家殺害事件とTBSビデオ問題~麻原はいつ殺意を抱いたのか(江川紹子)

オウム真理教事件

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法務省は7月26日、オウム真理教による一連の事件で死刑が確定した、6人の元教団幹部の死刑を執行した。 6日には、元教団代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚ら7人の執行がされており、これで一連の事件で死刑が確定した13人の元幹部全員が執行された。 司法がそう総括した暴走のきっかけは何だったのか。 三つの転機から迫ってみたい。 1995年の地下鉄サリン、94年の松本サリン、89年の坂本堤弁護士一家殺害などのオウム真理教事件で、計27人を死なせた松本智津夫死刑囚は死刑が確定。 1995年3月20日朝、オウム真理教幹部らが東京都内の地下鉄3路線5車両で猛毒のサリンをまいた地下鉄サリン事件で、13人が死亡、6千人以上が負傷した。 裁判で188人が有罪となり、うち13人の死刑が確定して2011年にいったん終結。 12年に特別手配犯3人が逮捕されて再開したが、2018年1月、一連の事件のすべての刑事裁判が終結した。 一連の事件で、2005年から11年までの間に、計13人の死刑が確定した。 一つの組織が起こした事件としては戦後最多。 他に6人の無期懲役が確定している。 修行中の男性信徒が突然、大声を上げ始めた。 幹部が水をかけたところ、男性は死亡してしまった。 公にすれば教団の活動を休止せざるを得なくなることを恐れた松本智津夫死刑囚は、警察には連絡せず、幹部らに男性の遺体を処理するよう指示。 幹部らは遺体をドラム缶で焼却し、骨を湖に捨てた。 その場に立ち会っていた別の男性信徒は同年末、教団の出版物の営業活動に当たるよう指示された。 だが、男性は「営業をやっても功徳にならない」と感じ、教団からの脱会を訴えるようになった。 松本死刑囚は89年2月の深夜、幹部らを集め、「男性の考えが変わらないなら、ポアするしかないな」と命令した。 幹部らは、コンテナ内で両手、両足を縛られた男性の首をロープで絞め、殺害した。 教団の活動を妨げるものは命を奪ってまで、口を封じる。 重大な違法行為の連鎖は、この頃、始まった。 「オウム」をめぐるキーワード• SLIDE PHOTOS 総選挙の惨敗 オウム真理教は小さなヨガ教室から始まった。 松本智津夫死刑囚は1978年、都内の予備校で出会った女性と結婚し、鍼灸(しんきゅう)師として生計を立てていた。 80年代半ばころから「麻原彰晃」と名乗り、都内でヨガ教室を開いて指導するようになった。 84年ごろ、前身の「オウム神仙の会」を発足。 座った姿勢のまま宙を浮いているような写真を雑誌に掲載し、誰でも修行すれば超能力者になれると説くと、入会希望者は増えていった。 87年には「オウム真理教」と名称を変更し、89年には宗教法人の認証を受けた。 教団の力を拡大するためには政治力をつけることが必要だと考えた松本死刑囚は、90年2月には教団幹部らとともに総選挙に出馬したが、全員落選。 真理党代表として東京4区から立候補した松本死刑囚の得票は、1783票だった。 元幹部の一人は法廷で、当時の教団内の様子をこう語っている。 「このころから、被害妄想や社会からの孤立感が出てきた。 こうした問題を払拭(ふっしょく)するために麻原氏を神格化する風潮が教団内に蔓延(まんえん)していった」 石垣島セミナー 総選挙で大敗した後の1990年4月、松本智津夫死刑囚は「オースチン彗星(すいせい)の接近で日本に天変地異が起きる」と「予言」。 石垣島に約千人の信徒を避難させてセミナーを開いた。 検察側の主張では、教団はこの時期に合わせ、ボツリヌス菌を東京にばらまき、人為的な「大災害」を演出することを計画。 松本死刑囚の指示で、幹部らが菌の培養に取りかかり、プラント生産を目指したが、いずれも期限には間に合わなかった。 「天変地異」の自作自演は失敗に終わったが、教団の武装化はこの時期から一気に深刻化していく。 松本死刑囚は幹部ら二十数人を集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」と無差別大量殺人の実行を宣言。 兵器の開発などを次々に指示した。 また、セミナーは大量の出家者を出したとされる。 この頃までには、オウムの出家制度は尊師である松本死刑囚に、心身と自己の全財産を委ね、肉親や友人らとの接触など、現世における一切の関わりを断つものになっていた。 布施の名目で信徒らの資産を根こそぎ吸い上げ、多額の資金を投下して教団の武装化を進めることになる。 教団は現在、主流派の「アレフ」と上祐史浩代表が率いる「ひかりの輪」などに分裂している。 公安調査庁によると、いずれも松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚の強い影響下にあるという。 同庁は松本元死刑囚の死刑が執行された7月6日、関連施設に一斉に立ち入り検査をするなど、情報収集の強化に努めている。 (山本亮介) オウム真理教をめぐる動き.

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オウム真理教事件(おうむしんりきょうじけん)とは

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平成8年 警察白書 第2節 オウム真理教の組織犯罪活動等の実態 テロ集団化した教団は、松本サリン事件、地下鉄サリン事件等の種々の犯罪等を引き起こしたことが明らかになっているが、本節では、その実態について、お布施の強要等による組織・経済基盤確立行動、教団脱退信者に対するリンチ殺人事件等の内部統制活動、有毒ガス、銃器製造等による武装活動、地下鉄サリン事件等の攻撃活動等に分けて、見ていくこととする。 1 組織・経済基盤確立活動 教団は、組織基盤を確保するための施設を建設するに当たり、国土利用計画法違反事件を敢行するとともに、活動資金を得るため多額の財産を有している在家信者等を強引に出家させ、その財産を教団に寄附させる目的で、数々の逮捕・監禁事件、営利略取事件等を敢行した。 (1) 波野村における国土利用計画法違反等事件 ア 事件の概要 教団は、崇拝するシヴァ神が統括する伝説の理想郷建設を目指す「日本シャンバラ化計画」の実践活動の一環として、波野村に教団施設を建設するため、同村内の約15万平方メートルの山林を買収することを計画した。 平成2年5月、教団の顧問弁護士らは、建設用地を地権者から買収するに当たって、売買価格が総額5,000万円であるにもかかわらず、価格が著しく適正を欠くとして、熊本県知事から契約の締結を中止すべきであるなどの勧告を受けることをおそれ、同価格を総額3,000万円とする内容虚偽の届出を同知事に対して行った。 しかし、その後、早急に施設の建設を進めるため、「土地はお布施である。 」として同届出を取り下げ、虚偽の負担付贈与契約書を作成し、県知事への届出を行わないまま贈与を理由として同山林の所有権移転登記を行った上、土地代金の支払事実を隠ぺいするため証拠隠滅工作等を行っていた。 これらの行為は、国土利用計画法違反(虚偽届出、届出義務違反)、公正証書原本不実記載・同行使罪及び証拠隠滅罪に当たる。 イ 和解金の獲得 2年5月、教団が波野村に進出し、同村内で教団施設を建設する計画である旨の新聞記事が掲載されたことを契機として、教団の同村進出に対する地元住民の反対運動が一挙に沸き上がった。 教団の波野村進出が具体化する中で、同村へ転居してきた教団信者と地元住民との対立は激化し、両者間の暴力事案に警察官が出動するなど教団の波野村進出問題は一地域の問題にとどまらず全国的に注目を集めるものとなった。 このような情勢の中で、波野村は、教団の村外への退去を求めて和解交渉を行った結果、6年8月、同村が教団に対し9億2,000万円を支払い、教団は村外へ退去することで和解が成立した。 (2) 宮崎県における旅館経営者被害に係る営利略取事件 教団幹部らは、教団の在家信者である旅館経営者(63)のもとにまとまった土地売却代金が入ることを知り、その代金をお布施名義で強引に入手することを企てた。 そこで、平成6年3月27日、宮崎県小林市内の旅館経営者宅において、睡眠薬入りのお茶を同人に飲ませ、同人が眠ったところを車両で上九一色村の教団施設に連れ込み、強引にお布施の約束を取り付けようとした。 同人は、教団が薬物を使用し、自分の意識を失わせて無理やり教団施設に拉(ら)致した上、土地売却代金を狙(ねら)っていることを十分理解していたが、教団に逆らって逃走しようとすれば殺害されるとの危機感を抱き、教団の本やビデオを読むふりをして、熱心な信者を装っていた。 その後同人は、教団に対し多額のお布施をすることを約束し、帰宅を許されたが、6年8月21日に帰宅した後、6年9月26日、教団信者らを告訴・告発した。 (3) 公証役場事務長逮捕・監禁致死事件 ア 犯行に至る経緯 目黒公証役場事務長の妹(62)は在家信者であり、教団幹部の勧めに応じ、お布施と称して教団に対し合計約6,000万円の寄附をしていたが、「イニシエーション」と称する宗教的儀式を2回受けて幻覚を見るなどの異常な体験をしたこと、信者の過激な言動や殺気立った教団の雰囲気等に接したこと、教団による(2)の事件に関する報道に接したことなどから、教団に対する疑いや恐怖感を覚えるようになっていた。 一方、教団幹部らは、同女が不動産等の多額の財産を所有していることを知り、同女を出家させ全財産を教団に寄附させようと考え、第2サティアンと称する教団施設において、教団代表が同女に薬物混入の飲物を手渡してこれを飲ませ、意識朦朧(もうろう)状態に陥れた上、同女に出家することを約束させた。 同女は、このままでは教団に全財産を取り上げられてしまうと思い、兄である事務長にこれまでの経緯を話し、教団からの脱会を相談し、その後、教団から身を隠した。 イ 犯行状況 教団幹部らは、同女の不動産の利用計画を既に進めていたことから、同女を探し出して何としてでも出家させようと考え、同女の居所を聞き出すために事務長の動きを見張っていたが、事務長を拉致し教団施設に連行するのが手っ取り早いと考え、教団代表の了承を受けた上、平成7年2月28日、公証役場から帰宅途中の事務長をあらかじめ準備していた車両に無理やりに連れ込み、同人が抵抗しないように全身麻酔薬を注射した上、麻酔効果を持続させるため、別の全身麻酔薬を点滴ラインで管注した。 教団幹部らは、事務長を上九一色村の教団施設に連れ込み、全身麻酔 薬を点滴ラインで管注し同人の意識状態を低下させてから、同人の体を揺すって半覚せい状態に戻した上で妹の居所を尋ねたが、事務長が妹の居所を言わなかったので、全身麻酔薬の管注を続けたところ、全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制、循環抑制等による心不全により事務長は死亡した。 ウ 死体の損壊状況 教団幹部らは、教団代表の指示により、事務長の死体を教団第2サティアン地下室に運び、そこに設置してある「マイクロ波加熱装置」を使い焼却した。 さらに、焼け残った遺骨を木片で粉々に砕いた上、硝酸で溶解し、近くの湖に遺棄した。 エ 犯行後の教団による罪証隠滅工作 教団幹部らは、事件について何らかの知識を有していると思われる信者数人に対し、全身麻酔で眠らせた上、頭部に電極をつなぎそれに通電させて記憶を抹消する「ニューナルコ」と呼ばれる処置を施したほか、犯行に使用したレンタカーを借りた際に指紋を残した可能性のある信者らに対し、指紋消去手術及び整形手術を行わせ、これらの信者を各所にかくまった。 (4) 名古屋市内における老女被害に係る営利略取等事件 教団女性幹部(37)らは、出家信者(46)の母親(76)に対し、同女が所有する土地・建物等をお布施として教団に寄進するよう説得したが、同女がこれに応じなかったことから、平成7年3月20日、名古屋市内の同女宅に押しかけ、同女に薬物を投与し昏睡状態に陥れ、あらかじめ用意していた車両で上九一色村の教団施設に連れ込んだ。 またその際、同女宅から同女名義の定額貯金証書等を強取し、3月23日、同女名義の郵便貯金払戻金受領証等を偽造して、名古屋市内の郵便局において現金約930万円をだまし取った。 2 内部統制活動 教団では、教団施設から信者を連れ出そうとした元教団信者を殺害したり、信者に対し薬物を投与し、イニシエーションと称する各種宗教的儀式を実施するなどして、信者の獲得や脱会防止、信者の結束を図っていた。 (1) リンチによる殺人事件 ア 富士宮市における信者リンチ殺人事件 教団代表ほか多数の信者は、教団の修業内容に疑問を抱き、教団脱会の意志を有していた男性信者(21)の殺害を企て、平成元年2月上旬ころ、静岡県富士宮市にある教団施設内に設置されたコンテナ内において、同人の両手両足をロープで縛って監禁し、頸部を絞め付けるなどして殺害した。 イ 第2サティアンにおける元信者リンチ殺人事件 被害者の男性(29)は2年に出家信者となり、教団附属医院で薬剤師等として働いていたが、その後、「教団が他から弾圧されている」などという教団代表の言動等に不信感を抱くようになり、6年1月22日ころ教団を抜け出した。 この男性は、かねてから、知り合いである附属医院の入院患者に対する治療方法が適切なものではないとの疑問を抱いていたが、この入院患者が第6サティアンに移った後も、治療等をこのまま続ければむしろ病気は悪化するのではないかと考え、入院患者の夫と教団の在家信者であるその長男とともに、入院患者を第6サティアンから連れ出すことを計画した。 6年1月30日、被害者と入院患者の長男は第6サティアンに侵入し入院患者を連れ出そうとしたが、途中で信者らに発見され、第2サティアンに連行された。 第2サティアンには教団代表ほか多数の信者が集まっており、その中で教団代表は在家信者である長男に対し、同人を家に帰してやることを条件に被害者の殺害を命じ、長男は数人の信者とともに被害者の首をロープで絞め付け殺害した。 ウ 第2サティアンにおける信者リンチ殺人・死体損壊事件 教団代表ほか数人の教団信者らは、6年7月中旬ころ、上九一色村にある第2サティアン地下室において、教団信者の男性(27)をスパイと決めつけ、頸部にロープを巻いて締め付けるなどし、同人を窒息させて殺害し、同地下室内のマイクロ波焼却装置を使用して、同人の死体を焼却した。 (2) 信者に対する監禁事件 ア 元看護婦監禁事件 教団信者らは、平成6年7月28日、山梨県南都留郡にある駐車場において、教団を脱走した元看護婦である信者(29)の背部及び両足を抱き抱えるなどして、普通乗用車の後部座席に連れ込み、同女を上九一色村にある教団施設に連行し、6年10月26日までの間、第5サティアン等に同女を監禁した。 イ 元女優の長女監禁事件 教団信者らは、信者である元女優と共謀の上、7年2月4日、東京都三鷹市の路上において、同女の長女(19)を車両に押し込み降車できないようにし、第6サティアンに到着するまでの約3時間にわたり同女を監禁した。 また、2月5日から同月18日までの間、同女を第6サティアン内の独房に閉じ込めるなどして監禁した。 ウ 大阪における逮捕監禁事件 教団信者らは、6年12月9日、教団脱会を決意してその話合いのため教団大阪道場を訪れた教団信者(25)の脱会を阻止しようとして、同人を無理やり車両に乗せ、手錠をかけ麻酔薬を注射するなどして意識朦朧状態にし、富士宮市にある教団施設まで移動する間、同人を監禁した。 エ 上九一色村教団施設内における女性信者監禁事件 教団信者らは、教団脱会を希望した女性信者(23)を監禁して懲罰を加えることを目的として、6年12月下旬ころから7年3月22日の間、第6サティアン及び第10サティアンにおいて、同女に対し頭部を殴打するなどの暴行を加えたほか、全身麻酔薬を注射するなどして意識不明に陥らせ、施錠付きのコンテナに監禁した。 オ 上九一色村教団施設内における教団信者監禁事件 教団信者らは、7年3月22日第10サティアン礼拝堂3階において、教団信者に対し、薬物を吸引させるなどして意識不明に陥らせ、同人を同所に監禁した。 (3) 薬物乱用 ア 製造の目的 教団は、武装化の一環として、生物兵器や化学兵器の研究を行っていたが、その際、幻覚剤であるLSDが化学兵器としても使用できることを知り、教団内でLSDの製造を開始した。 また、LSDを用いて信者に幻覚症状を体験させ、これを教祖の霊的なエネルギーや経験を授ける儀式であると宣伝することにより、信者の獲得や結束に役立てようとし、信者に秘してLSDを服用させる宗教的儀式を発案し、「キリストのイニシエーション」と称して実行していた。 さらに、LSD以外の幻覚作用を有する薬物についても宗教的儀式に使用することを企て、覚せい剤、メスカリン等の薬物を製造した。 イ 製造の状況 教団は、平成5年暮れから6年にかけ、偽名を用いて、都内の薬品会社からLSDの主原料である酒石酸エルゴタミンを購入したが、国内での大量入手が困難であったため、ロシアから入手することを企て、数キログラムを購入した。 その他の薬物原材料は、教団が信者に設立させたダミー会社を通じるなどの方法により購入していた。 その後、教団は、6年5月ころから、教団施設内において、LSDの製造を開始し、覚せい剤については、覚せい剤原料として規制されているエフェドリンを原料とする方法とは異なる特殊な製造方法を検討した上、6年6月上旬ころから製造に着手した。 その他、幻覚作用を有するメスカリン、PCP(フェンシクリジン)や麻酔剤のチオペンタールナトリウムも製造したが、その後の捜索においては、LSD合計約115グラム、覚せい剤合計約227グラム、メスカリン合計約3キログラム、PCP合計約7. 86グラム、チオペンタールナトリウム合計約1. 7キログラムがそれぞれ教団施設内で押収された。 ウ 使用状況 教団は、6年6月上旬ころから、LSDを用いた宗教的儀式を開始したが、その後、これに加えて覚せい剤も使用するようになった。 また、信者にチオペンタールナトリウム等を用いて、スパイか否かを確かめるなどのため、半覚せい状態にして質問に答えさせるといった「ナルコ」と呼ばれる儀式を行うとともに、意識障害に陥らせて監禁するなどしていた。 7年2月に発生した、公証役場事務長逮捕・監禁致死事件においては、被害者に対し、自白させることを目的としてチオペンタールナトリウムを使用していた。 3 武装活動 教団代表は、かねてから、信者らに対していわゆるハルマゲドンの到来や外国の軍隊等による毒ガス攻撃等の予言・説法を行う一方、人類救済のためには、教団に敵対する者を含め一般人に対する無差別大量殺人の実現と国家権力を攻撃し打倒することが必要であるとして、密かに教団の武装化を計画し、銃器の製造や有毒ガスの大量生産等を行う一方、自衛隊員への接近をも試みた。 (1) 銃器製造 ア 銃器製造の計画及び準備 教団代表は、教団武装化の一環として、小銃1,000丁とその銃弾約100万発を入手するため、教団信者に小銃等の密造を行わせることを企てた。 教団代表は、平成4年末ころ、教団幹部にロシアで小銃の研究をするように命じた。 教団幹部はこの指示に従い、ロシアにおいて、アブトマット・カラシニコフ1974年式(AK-74)と呼ばれる小銃(旧ソ連軍に制式化されていた高性能小銃)の実物及び銃弾を入手し、これを分解するなどしてビデオ録画、写真撮影、図面の作成等を行うとともに、銃弾や一部の部品については帰国の際に工具箱に隠匿して日本に持ちこんだ。 イ 銃器製造体制の確立と小銃の完成 5年6月ころから、教団幹部は、山梨県南巨摩郡富沢町所在の「清流精舎」と呼ばれる教団施設内において、ロシアで作成した図面等を参考に、本格的な設計作業を進めるとともに、大型工作機械等を用いて部品の製造方法の研究を行った。 また、6年4月下旬ころから、上九一色村の教団施設内に大型工作機械を多数設置し、銃器製造工場の整備を行い、7年1月1日、小銃1丁を完成させた。 ウ 警察の強制捜査に備えた証拠隠滅 教団は、小銃の大量生産、銃弾の製造等を開始していたが、7年3月ころ、教団施設に対し警察の強制捜査が実施されるという情報を入手したため、小銃等の製造を断念し、図面等の焼却、小銃部品等の教団施設の鉄柱の中への隠匿、群馬県内のダムへの廃棄等、組織的な証拠隠滅を図った。 (2) サリン等製造 ア サリン製造等の計画及び準備 平成5年3月ころ、教団代表は、教団の教義・思想を実現するため、有毒ガスを散布して多数人を殺害することを計画し、大学院で化学を専攻した信者に対し、各種研究及び開発を指示するとともに、大学薬学部出身の信者に、有毒ガス製造用の化学薬品購入のためのダミー会社を設立させた。 また、教団代表は、別の信者に対し、有毒ガスを空中から散布するために必要なヘリコプターの操縦免許をアメリカ合衆国で取得することや、大型ヘリコプターを購入することを指示した。 この信者は、5年12月、旧ソ連製大型ヘリコプター(MIL-17)1台の購入契約を締結し、このヘリコプターは6年6月、日本に持ち込まれた。 イ サリンの毒性 サリンは、自然界には存在しない人工の有機リン系化合物であり、人の神経の働きを阻害する神経剤である。 体表のどこからでも吸収され、身体組織の酵素の作用を阻害することによって、人の神経伝達を妨げる。 このため、人は呼吸中枢を麻痺(ひ)させるなどの症状を引き起こし死に至る。 ウ プラントの建設 教団では、上九一色村に建設されたクシティガルバ棟と称する教団施設内で、繰り返しサリン製造の実験を行い、サリン製造工程を確定し、サリン原料を購入するために設立したダミー会社を通じ、薬品販売会社からサリン生成に必要な三塩化リン、フッ化ナトリウム、インプロピルアルコール等を大量に購入した。 また、教団代表は、サリンの大量生産のためのプラント建設を指示し、サリンを1日2トン、合計70トン生産することを目標に、第7サティアンと称するプラントを建設した。 エ その他の毒物等 教団では、サリンのほか、化学兵器用の物質の製造等を行っていたことが明らかとなっている。 サリンと同じ神経剤であるVXについては、これを製造し、殺人に使用した。 また、同じく神経剤であるタブン、ソマン、皮膚等に強い炎症を起こさせるびらん剤であるイぺリット等の有毒化学物質の研究を行っていたほか、炭疽(そ)菌、ボツリヌス菌等の生物剤の研究を行っていたことも明らかになっている。 4 攻撃活動 教団は、対立していた弁護士を殺害することによって、教団活動に対する障害を取り除き、また、武装化を図った上、警察の捜査活動に打撃を与えることを企図して、有毒ガスにより多数の人を殺傷する事件を起こすなど、社会に対する攻撃活動を展開した。 (1) 坂本弁護士事件 ア 犯行に至る経緯 坂本弁護士は、出家信者の親から、子供の教団からの脱会について相談を受けたことがきっかけとなって、教団に対して、出家信者の親元への帰宅及び親との面会を要求するようになった。 同弁護士は、教団活動の不正を正すため、平成元年6月22日ころ、他の弁護士2人とともに「オウム真理教被害対策弁護団」を結成するとともに、出家した子供の脱会を希望する親らの組織化を進め、その窓口となって教団との交渉を行っていくことを決めた(なお、この親たちの集まりは、10月21日、「オウム真理教被害者の会」(以下「被害者の会」という。 )となった。 坂本弁護士が教団に対し出家信者とその親の面会を要求した結果、8月3日にその面会が実現したが、事態は進展せず、教団が8月25日付けで宗教法人の規則の認証を受けた後は、同弁護士が出家信者とその親との面会を要求しても、教団がこれに全く応じなくなった。 その後、坂本弁護士らは、教団活動の不正を法的に追及するなどして、宗教法人の規則の認証の取消しを求めていくことにした。 一方、9月中旬、被害者の会の1人は、週刊誌の記者から教団の活動等に関して取材に応じてほしいとの申出があったため、坂本弁護士と相談の上これに応じ、教団の活動実態等の説明をした。 また、坂本弁護士は、民間ラジオ局の放送番組に電話で出演し、教団に出家した未成年者が行方不明になっている事例や教団の布施制度の不当性等について話した。 さらに、民間放送局の取材に応じ、教団の出家制度及び布施制度について批判したほか、教団の宗教的儀式の効果を否定し、この儀式に関して布施を集めることは詐欺になるとするなど、教団活動に関する批判を述べた。 教団代表はこのことを聞きつけ、教団幹部らに坂本弁護士の取材での発言を訂正させるように指示した。 この結果を受けた教団幹部3人は坂本弁護士が所属する法律事務所に出向き、同弁護士に対し、取材での発言の訂正と謝罪を求めたが、同弁護士から、教団を告訴する旨伝えられるなど、もはや同弁護士の活動を阻止することは困難であった。 教団代表は、坂本弁護士の活動をこのまま放置すれば、宗教法人の規則の認証を取り消されるなど、教団活動の大きな障害ともなりかねないと考え、同弁護士の殺害を決意するに至った。 イ 犯行状況 教団代表は信者6人を選び、富士山総本部において、坂本弁護士の殺害を命じ、殺害方法として、駅から帰宅途中の同弁護士を自動車内に連れ込み塩化カリウムを注射する方法を指示した。 6人は教団代表の指示を実行すべく、11月3日午後、同弁護士が利用しているJR根岸線洋光台駅付近において同弁護士の帰りを待ったが、この日は祝日であったため同弁護士が現れなかった。 そこで、教団代表の命により、11月4日午前3時ころ、坂本弁護士宅に侵入し、寝室で同弁護士一家が就寝してい るのを確認した上で、同弁護士及びその妻に襲いかかり、それぞれの首を絞め殺害し、さらに同弁護士の長男についても、鼻口を手で押さえ続け殺害した。 ウ 犯行後の状況 6人は、犯行を隠ぺいするため、坂本弁護士一家3人の死体を富士山総本部へ運搬することとしたが、殺害の際に布団に付着した坂本弁護士の鼻血を隠すため及び死体を運び出す際に死体を見られないようにするため、同弁護士一家が寝ていた布団等で死体を包んで運び出した。 このとき、信者の1人が教団のバッジであるプルシャを坂本弁護士宅に落としていたことには誰も気付いていなかった。 富士山総本部に着いた6人は、そこで、教団代表から、死体を遠くの山まで運び、そこに深い穴を掘って埋めるよう指示を受けた。 6人は、坂本弁護士一家3人の死体を別々の県に埋めておけば、仮に死体が発見されたとしてもそれぞれについて捜査をする県警察が異なるので捜査が進展しにくいのではないかと考え、3人の死体を3県に分けて埋めることとした。 そこで6人は坂本弁護士の長男の死体を長野県内の山中に、同弁護士の死体を新潟県内の山中に、その妻の死体を富山県内の山中に、それぞれ埋めて死体を遺棄した。 (2) サリン使用弁護士殺人未遂事件 教団代表ほか教団幹部らは、教団に反対する立場を取っていた弁護士(37)の存在が教団運営の障害となっていたことから、サリンによって同弁護士を殺害することを企て、平成6年5月9日、山梨県甲府市内の甲府地方裁判所駐車場において、駐車中の同弁護士使用の自動車のフロントガラス付近にサリン若干量を滴下して、同車両に乗車した同弁護士にサリンを吸引させたが、視野狭窄(さく)等の傷害を負わせたにとどまった。 (3) 松本サリン事件 教団は、平成3年6月ころから、活動拠点の一つとして、長野県松本市内において土地約900平方メートルを購入し、教団道場等を建設しようと計画した。 しかし、同土地は長野県知事により国土利用計画法上の監視区域に指定されており、500平方メートル以上の売買の場合、県知事への届出が必要であったことから、教団は県知事への届出を避けるため、土地の一部を売買で取得し、一部を賃貸借で使用しようと考え、教団名で売買契約を、教団関連会社名で賃貸借契約をそれぞれ締結した。 その後、地主から、賃貸借契約は本来の借主である教団の名前を隠した上での契約の申込みで、詐欺に当たるとして契約の取消しを通知されたので、教団は、長野地方裁判所松本支部(以下「松本支部」という。 )に対し、建築工事妨害禁止の仮処分命令の申立てを行い、これに対し地主も、松本支部に建築工事禁止の仮処分命令を申し立てた。 松本支部は、4年1月17日、地主の申立てを認容し教団の申立てを却下する命令を下し、その後、東京高等裁判所も松本支部の結論を是認した。 教団は当初の計画を縮小し、売買で取得した土地に教団施設を建築しようとしたが、4年5月、地主から教団に対し、建物の建築工事禁止(建物完成後は建物収去請求に変更)と教団が売買により取得した土地及び賃借した土地の明渡し等を求める訴訟が松本支部に提訴された。 この訴訟は6年5月10日に結審し、同年7月19日に判決予定であったが、教団代表は、教団弁護士から、教団敗訴の可能性が高い旨の説明を受けていた。 このような教団と地主との紛争の間に、地元の住民により「オウム真理教松本進出阻止対策委員会」が結成され、多数の松本市民等が教団の松本市への進出に反対する旨の署名活動を行い、最終的には14万人にも及ぶ署名が松本支部に提出されるなど、教団の松本支部開設は社会問題化した。 これらのことから、教団代表は、教団と対立する立場にあった松本支部の付近で、かねてから研究開発と量産を進めていたサリンを噴霧し、松本支部の裁判官及び付近住民を殺害することを決意し、6月20日ころ、上九一色村にある第6サティアンの自室に4人の教団幹部を集め、犯行を指示した。 指示を受けた教団幹部らは、加熱式噴霧器を荷台に設置した噴霧車を使用してサリンを噴霧する計画を立て、教団信者数人の協力を得て噴霧車を製作した。 教団幹部ら7人(教団代表から指示を受けた教団幹部4人と教団幹部が指定した警護役の教団信者3人)の実行グループは6月27日の夕方ころになって噴霧車とワゴン車に分乗して松本市に向かった。 既に日が暮れかかっていたことから、教団幹部らは裁判所の勤務時間中に松本支部にサリンを噴霧することは不可能と判断し、サリン噴霧の目標を松本支部から約400メートル離れたところにある裁判官の宿舎に変更することとした。 教団幹部らは、裁判官の宿舎付近において、車両が目撃されても教団の犯行であることが発覚しないように噴霧車とワゴン車のナンバープレートの上に偽造ナンバープレートをはり付け、また、自らがサリンを吸わないようにビニール袋と酸素ボンベをホースで接続した防毒マスクを準備した。 その後、教団幹部らは、風向き等を考慮しサリンを噴霧する場所を裁判官の宿舎付近の駐車場に定め、そこに噴霧車とワゴン車を移動させた。 教団幹部らは駐車場に到着後直ちにサリン噴霧の準備をし、用意していた防毒ガスを頭にかぶり、約10分間サリンを噴霧した。 この結果、この駐車場付近に住む住民7人が死亡し、144人が負傷した。 (4) VX使用事件 ア 大阪におけるVX使用殺人事件 教団代表ほか教団幹部らは、大阪市在住の会社員(28)を教団破壊を企て在家信者を背後で操っている警察のスパイであると勝手に認定し、平成6年12月12日、大阪市淀川区の路上において、同人の身体に対しVXの液体を注射器を用いて吹きかけ殺害した。 イ VX使用会社役員殺人未遂事件 教団代表ほか教団幹部らは、東京都中野区在住の男性(82)が教団脱会信者をかくまうなどしたことから、同人を殺害することを企て、6年12月2日、中野区内の路上において、VXの液体を同人の身体に付着させて体内に浸透させ、VX中毒症の傷害を負わせた。 ウ VX使用「オウム真理教被害者の会」会長殺人未遂事件 教団代表ほか教団幹部らは、「オウム真理教被害者の会」会長(56)を殺害することを企て、7年1月4日、東京都港区内の路上において、VXの液体を同人の身体に付着させて体内に浸透させ、VX中毒症の傷害を負わせた。 (5) オウム真理教東京総本部に対する火炎びん投てき事件等 教団幹部らは、平成7年2月28日に引き起こした公証役場事務長逮捕・監禁致死事件以降、警察による強制捜査を予期し、様々な対応策を講じるなどしていたが、警察の教団に対する捜査をかく乱するため、教団「諜報省」幹部に命じ、地下鉄サリン事件発生の前日である7年3月19日夜、東京都内で杉並区内のマンション(当該マンションには、オウム真理教を擁護する立場にあると言われていた大学教授が以前居住していた。 )1階玄関ドアの前に時限式発火装置を施した爆発物1個を設置し、これを爆発させ、また、港区南青山に所在する教団東京総本部に向けて火炎びんを投てきさせた。 (6) 地下鉄サリン事件 ア 犯行の動機 教団代表は、教団幹部らに指示し、平成7年2月28日、公証役場事務長逮捕・監禁致死事件を起こしたが、この事件は犯行直後警察に発覚し、新聞、週刊誌等で事件に教団が絡んでいるかのような報道が大々的になされた。 このような状況から、教団代表は、近く、警察の教団に対する大規模な強制捜査が実施されるという危機感を抱き、警察組織に打撃を与えるとともに、首都中心部を大混乱に陥れるような事件を敢行することにより、教団に対する強制捜査の実施を事実上不可能にさせようと考え、松本サリン事件でその効果を実験済みであったサリンを、警視庁等の所在する霞ヶ関駅を走行する地下鉄列車内でまき、多数の乗客らを殺害することを決意した。 イ サリンの製造 松本サリン事件後、教団は、警察の捜索に備えて残存サリン全部を処分していた。 そこで、急きょ、上九一色村にあるジーヴァカ棟と称する教団施設において、本件犯行に使用するサリンを製造した。 出来上がったサリンの混合液は、600グラムずつナイロン袋に注入し、運搬途中で袋が破損しないように二重袋にした。 サリン入りナイロン袋は合計11袋作られた。 ウ 実行 教団では、地下鉄内で実際にサリンをまく実行者5人を選定し、第7サティアン内で、先端の金属部分を削り、先をとがらせた傘で、サリンに見立てた水入りナイロン袋を突き刺して、サリンを漏出させる練習が行われた。 実行者は警視庁に近い場所にある地下鉄霞ヶ関駅を走行する帝都高速度交通営団(以下「営団」という。 )日比谷線、営団丸ノ内線、営団千代田線の3つの路線にサリンをまくことを決定し、乗客の多いラッシュ時をねらい、7年3月20日午前8時ころ、上記3路線において、予行演習のとおり、先のとがった傘を使用し、サリン入りのナイロン袋を突き刺し、サリンを複数の地下鉄車両内及び駅構内に漏出させ、その結果、乗客、駅職員等11人を殺害し、多数の人を負傷させた。 エ 犯行後の罪証隠滅工作 犯行後、実行者は、それぞれあらかじめ手配されていた信者が運転する自動車で都内の教団アジトに戻り、その後、東京都内の河川敷において、犯行に使用した傘、衣類を焼却して罪証隠滅を図った。 また、上九一色村では、教団代表は、警察が、事件の翌日にも上九一色村の教団施設の捜索を行うことを予期し、教団幹部に命じ、倉庫に保管中の三塩化リン入りのドラム缶多数を、上九一色村教団施設内の治療棟(診療所を開設予定の建物)地下に移動させ、また、第7サティアン内に残っていたサリンプラントに関する書類及び薬品類等を焼却させるなどした。 さらに、第7サティアンの使用目的が、農薬であるDDVP生成であるかのように説明するために、DDVPに関する書籍等を購入するなどしてDDVPに関する調査を行った。 (7) 地下鉄丸ノ内線新宿駅便所内毒物使用殺人未遂事件 平成7年5月5日午後4時50分ごろ、教団幹部ら数人が、警察の教団に対する捜査をかく乱するため、東京都新宿区所在の営団丸ノ内線新宿駅東口脇公衆便所の男子大便所内に、時限式発火装置付きのビニール袋入り硫酸とシアン化ナトリウムを設置し、猛毒であるシアン化水素ガス(青酸ガス)を発生させて、不特定多数の者を殺害しようとしたが、出火を目撃した地下鉄職員が消火したことにより、未遂に終わった。 (8) 都庁における郵便物爆発殺人未遂事件 教団幹部ら数人は、警察の教団に対する捜査をかく乱するため、東京都知事殺害を企て、都知事あてに郵便物を装った爆弾を送付、平成7年5月16日午後6時57分ころ、東京都庁第一庁舎7階の知事秘書室において、同室秘書担当副参事(44)がこの郵便小包を開披したところ、これが爆発し、同副参事が左手全指断列等、全治約2箇月を要する重傷を負った。 5 その他 (1) 児童虐待 山梨県警察では、上九一色村の教団施設内に、劣悪な環境に置かれ、保護を必要としている児童が多数いるとの情報を得ていたところ、平成7年4月14日、第10サティアンを他の事件の容疑で捜索した際に、この施設内に、適当な保護者がいないのではないかとみられる児童多数を発見した。 施設内の児童は、ゴミ等が散乱し、異様な臭いがする衛生状態の良くない部屋で、顔色が悪く、汚い服装をしており、中にはぐったりして横たわった者もいる状況であった。 警察では、児童福祉法第25条(要保護児童の通告義務)に規定される要保護児童であると判断し、山梨県中央児童相談所に通告し、同児童相談所長から一時保護の委託を受けたため、これらの児童53名(男28名、女25名)を一時保護し、同児童相談所に引き渡した。 なお、この山梨県での一時保護に引き続き、7年5月16日に、群馬県内の同教団施設内において31名、さらに東京都内の同教団施設内において10名の児童を一時保護するなど、現在までに1都1府6県において1歳から14歳まで(保護時の年齢)の児童、合計107名を警察で一時保護した。 保護した児童に対し聞き取り調査をした結果、「蜂の巣状の狭くて窮屈なベッドに寝かされていた」、「電気でビリビリするヘッドギアを装着され、寝るときも着けさせられていた」、「毒ガスで死んでしまうからと言われ屋外に出してもらえなかった」、「義務教育を受けていなかった」などの劣悪な養育状況に置かれていたことが判明した。 (2) 自動車運転免許証の偽造・行使等 教団「諜報省」幹部らは、教団関係者が引き起こす違法行為の発覚を防ぐため、平成7年1月下旬から5月中旬にかけて、組織的に自動車運転免許証を偽造し、これを行使していた。 偽造された自動車運転免許証は、パソコン、画像スキャナー、カラープリンター、ラミネート加工機等の機器を使用して、外見上のみならず手触りも本物に酷似したものとなっていた。 これらの偽造された自動車運転免許証は、レンタカー借用や職務質問の際に使用されていた。 なお、6年12月に、「諜報省」幹部を中心とした教団関係者が、他人名義の自動車運転免許証データを窃取する目的で警視庁府中運転免許試験場に侵入する事件を引き起こしている。

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オウム事件被害者に11年ぶり賠償金、未払い10億円「後継団体はしっかり償って」(2019年6月28日)|BIGLOBEニュース

オウム 真理 教 の ビデオ 事件

事件の現場のひとつとなった(営団時代に撮影) 場所 (現在の)の一部路線 日付 標的 営団地下鉄・・の乗客および乗員・駅員など 攻撃手段 地下鉄の列車にを撒くことによる化学テロ・ 兵器 死亡者 14人 負傷者 約6,300人 犯人 (首謀者:) ・・・・・・・・・・・・・ほか女性信者2名 動機 教団へのの撹乱との混乱 地下鉄サリン事件(ちかてつじけん)は、(7年)にで発生したである。 による正式名称は、 地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件(ちかてつえきこうないどくぶつしようたすうさつじんじけん)。 日本国外では「:Tokyo Attack」と呼ばれることがある。 世界でも稀に見る大都市圏におけるを利用した無差別テロ事件であった。 のによって、(現在の)で営業運転中の車両内でのが散布され、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出た。 1995年当時としては、平時の大都市において無差別にが使用されるというにも類例のないであったため、世界的に大きな衝撃を与えた。 では、、と並んで『 オウム3大事件』 と表現されている。 死傷者数で見ると現在日本最悪の大量殺人事件である。 概説 [ ] 事件当日 [ ] (平成7年)午前8時ごろ、東京都内の(現在の、以下営団地下鉄)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガス・サリンが散布され、乗客や駅員ら14人 が、負傷者数は約6,300人とされる。 営団地下鉄では、事件発生に伴い日比谷線の運転が不可能となり、霞ケ関駅を通る丸ノ内線・千代田線については同駅を臨時に通過扱いとして運行することにしたが、一時的に部分運休した(後述)。 運転再開後はほぼ所定どおりのダイヤで運行したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。 1995年(平成7年)3月20日はで、事件は朝ののピーク時に発生した。 これはとが乗客数及び官公庁の通勤のピークが8時10分頃であると考えたためである。 それぞれの犯人が者の用意したで逃走した。 これらの路線ではには非常に混雑するため、車両間を移動することは大変困難であった。 この事件は教祖のが首謀、村井が総括指揮を担当、そして井上が現場調整役を務めた。 サリンは・・が生成したものが使われた。 オウムの関与判明後 [ ] 事件から2日後の3月22日に、はオウム真理教に対するを実施し、事件への関与が判明した教団の幹部クラスの信者がされ、林郁夫の自供がきっかけとなって全容が明らかになり、5月16日に教団教祖の麻原彰晃が事件のとして逮捕された。 地下鉄サリン事件の逮捕者は40人近くに及んだ。 リムジン謀議(後述)には、麻原・村井・遠藤・井上・・の6人がいた。 謀議に積極的発言をした麻原・村井・遠藤・井上の4人のが成立するとし、同乗しながら謀議に積極的な発言が確認できなかった青山と石川の共謀の立件は見送られた。 は、首謀者の麻原彰晃を始め、林郁夫を除く散布実行犯全員 と、送迎役のうち新実智光 にを言い渡し、のではさらに第一審では死刑に対し無期懲役だった井上嘉浩 に死刑判決が言い渡された。 実行役3人及び新実・井上両名の計5人に言い渡された死刑判決はいずれもで、2010年1月19日に新実のがされたことをもって確定した。 2012年(平成24年)6月15日、この事件に関与したとしてされていたが逮捕され、地下鉄サリン事件で特別指名手配されていたは全員逮捕された。 高橋が逮捕されるまでに、前述した新実を除く送迎役は全員求刑通り無期懲役判決が確定しており、高橋も他の送迎役同様一・二審で無期懲役判決(求刑同)を受け、最高裁に上告中であったが、上告が退けられた。 2018年(平成30年)7月に、事件に関与した死刑囚たちの死刑が執行された。 当事件を受けて、が制定される運びとなった。 計画 [ ] 迫る強制捜査と生物兵器テロ未遂 [ ] ことは、自ら設立した宗教団体であるオウム真理教内において、専門知識があり、また自らに対して従順な人材を複数配下に置き、を転覆させようと様々な兵器を開発する中でにも着目し、、らがこれを製造。 、といった事件を引き起こし、では遂に死者が発生した。 またその頃、サリン70t製造を目指して計画が進行していたが、1994年7月などに異臭騒ぎを起こし周辺の土壌を汚染していたため、1995年1月1日、朝刊が「でのサリン残留物検出」をスクープ。 読売のスクープを受けオウムはサリンを処分し第7サティアンに建設中だったは神殿に偽装した。 しかしがサリンの中間物質メチルホスホン酸ジフロライドCH 3P O F 2(裁判での通称「ジフロ」、一般的には「DF」)を密かに保管しており(諸説あり、) 、これが地下鉄サリン事件に使用されることとなったとされる。 麻原は同のにより警察の強制捜査は一旦遠のいたと考えていたが、同年2月末のでのオウムの関与が疑われ、麻原ら教団幹部は強制捜査が切迫していると危機感を抱いた。 オウム内部では、1994年11月頃から東京の現職警官信者からの情報としての噂が流れていた。 内のオウム信者の情報では、薬品の購入ルートが調査されていることが麻原に報告されていた。 このため、麻原は3月上旬、第6サティアン1階でに、がで買ってきた液体噴霧器「六法煙書」を用いて、が研究していたの効果実験を行うよう指示。 事件5日前の3月15日にに、、が六法煙書を仕込んだ改造を3つ放置したが、水蒸気が出るだけで失敗した。 井上らは科学技術省の改造したアタッシェケースではどうせ失敗すると思っていたという。 麻原は遠藤を叱責したが、遠藤は噴霧口のアタッシェケースのメッシュのせいで菌が死滅したとの自説を唱えた。 遠藤は裁判で毒が完成していないのにやらされたとしている。 なお、ケースは警視庁・警察庁の職員たちが利用する「A2」出入口構内に置かれていた。 リムジン謀議 [ ] 事件2日前の3月18日午前0時、都内のオウム経営飲食店で正悟師昇格祝賀会が行われる。 祝賀会中に麻原は幹部に対し、「エックス・デーが来るみたいだぞ。 」「なあ、アパーヤージャハ()、さっきマスコミの動きがと一緒だって言ったよな。 」と強制捜査を話題に出していた。 祝賀会終了後の18日未明、に帰る麻原ら幹部(麻原、・・・・)を乗せたにおいて、強制捜査への対応が協議された(リムジン謀議。 車中謀議とも)。 麻原は「今年の1月に があったから、強制捜査がなかった。 今回もアタッシェが成功していたら強制捜査はなかったかな。 」と発言。 井上がではなくならばよかったのではと回答すると、村井は地下鉄にサリンを撒くことを提案し麻原も同意した。 総指揮は村井、現場指揮は井上が担当となった。 村井は実行役として今度正悟師になる科学技術省所属、、、を推薦し、麻原がも加えた(ちなみにでは逆に林郁夫を麻原の指示で実行役から外している)。 また井上が、を実行し、事件は反オウムの者によるオウム潰しの陰謀と思わせて同情を集めることも計画された。 も自分の足を狙撃して自作自演事件を起こしたらどうかと志願したが、麻原はそこまでしなくていいとして止めた。 謀議内容については井上の証言に頼るものとなっているが、他に遠藤が「サリンつくれるか」「条件が整えば…」の発言があったことを証言している。 青山「いつになったら四ツになって戦えるんでしょう」 麻原「11月ころかな」 村井「ええ、やっぱり11月になるとができるし」 麻原「そうかもしれないな。 今年の1月に があったから、強制捜査がなかった。 今回もアタッシェが成功していたら強制捜査はなかったかな。 やっぱりメッシュが悪かったのかな」 麻原「アーナンダ(井上)、何か無いのか」 井上「T()ではなくて、妖術()だったらよかったんじゃないですか」 村井「地下鉄にサリンを撒けばいいんじゃないか」 麻原「それはパニックになるかもしれないな」 (サリンの揮発性について村井と麻原が会話) 麻原「アーナンダ、この方法でいけるか」 井上「尊師が言われるようにパニックになるかもしれませんが、私には判断できません。 1月1日の新聞であったように、山梨県警と長野県警が動いているようですから、おそらく薬品の購入ルートはすべてばれているでしょう。 ということは、こちらからは向こうも気づいていると思います。 だから、向こうが、こちらがサリン70トン造りきったと思っているなら怖くて入って来られないでしょう。 反対に、こちらがサリン70トン造りきっていないということを気づいているならば、堂々と入って来るでしょう。 だとするならば、牽制の意味で硫酸か何かを撒いたらいいんじゃないでしょうか」 麻原「サリンじゃないとだめだ。 アーナンダ、お前はもういい。 マンジュシュリー(村井)、お前が総指揮だ」 村井「はい。 今度正悟師になる4人を使いましょう」 麻原「クリシュナナンダ()を加えればいいんじゃないか」 麻原「(遠藤に対して)サリンはつくれるか」 遠藤「条件が整えば作れるのではないでしょうか」 麻原「とがやったように見せかければいいんじゃないか。 サリンを撒いたら強制捜査が来るか、来ないか、どう思うか」 石川「関係なしに来るでしょう」 井上「少しは遅れるかも知れないが、来ると決まっていれば来るでしょう」 石川「強制捜査が入ったら私が演説をしますので足などをピストルで撃ってもらって、そうすれば世間の同情を買えるのではないでしょうか」 麻原「クーチャン にやらせられるか」 井上「可能だと思います」 麻原「(石川に対して)お前はそこまでやる必要はない」 青山「のところに爆弾を仕掛けたら、世間の同情を買えるのではないでしょうか」 井上「それだったら青山(南青山総本部)に仕掛けたらいいんじゃないでしょうか」 麻原「それだったら、、」 — 1996年9月20日の証言に基づく 実行役・運転手役 [ ]• 3月18日• 午前4時頃 - 麻原ら上九一色村到着• 午前8時or9時頃 - は先の実行役ら(除く )を第6に集め「君たちにやってもらいたいことがある。 これは(上を見る)……からだからね」と麻原の指示であることを暗示した上で 、「近く強制捜査がある。 騒ぎを起こして強制捜査の矛先をそらすために地下鉄にサリンをまく。 嫌だったら断ってもいいんだよ。 」「前にアタッシェケースに仕込んだ噴霧器を地下鉄の構内に置いたことがあった。 それからすると、密閉した空間でないと余り効果が出ない。 それで、今度は車内に撒く」「3月20日月曜日の通勤時間帯に合わせてやる。 対象は、、、に勤務する者であり、これらの者はで降りる。 実行役のそれぞれが霞ヶ関駅に集まっている違う路線に乗って霞ヶ関駅の少し手前の駅でサリンを発散させて逃げれば、密閉空間である電車の中にサリンが充満して霞ヶ関駅で降りるべき人はそれで死ぬだろう。 」と犯行を指示• 夕方 - ・・実行役5人は第6サティアンで地下鉄のガイドマップなどを参考に散布場所と時間を計画策定。 運転手役の必要性が論じられる• 3月19日• その後在家信者に依頼し犯行用の車を借りる• 午後1時頃 - ・は第6サティアン1階の麻原の部屋に行き人選について指示を仰ぐ。 麻原は準備が進まないことに対して、やる気が無いなら中止しろと叱責。 ・・・と既に東京にいるが運転手役と決まり、4人は渋谷アジトに出発。 また、も東京へ向け出発• 午後7時25分頃 - ら、実行• 午後8時頃 - 、今川アジトを訪れ実行役5人及び杉本に渋谷アジトへの移動を指示• 午後8時45分頃 - ら、実行• 午後9時頃 - 実行役・運転手役全員とは渋谷アジトに集結。 がPAMなどの解毒剤を配布• 午後10時30分頃 - 全員は駅を下見、は霞ヶ関駅到着時に警視庁の出口に近い車両を選ぶよう指示 製造役 [ ]• 3月18日• 夕方 - が上述のジフロをに提供。 も加わりサリン生成の方法を探る。 遠藤、を思い出しやる気を無くす• 午後11時頃 - 村井秀夫とは第6サティアン1階の麻原の部屋を訪れ、麻原は遠藤に「ジーヴァカ、サリン造れよ。 」と発言• 3月19日• 昼前 - 、麻原やから「早くやれ。 今日中に造ってくれ」と催促される• 夕方 - のクシティガルバ棟は排気設備を撤去していたため、のジーヴァカ棟でサリン合成開始• 午後10時30分頃 - サリン完成。 遠藤は「できたみたいです。 ただし、まだ純粋な形ではなく、混合物です。 それ以上やらなくていいから。 」とこのまま使うこととなった。 村井と麻原が検討した結果、サリン袋を傘で突くという方法も決定される 犯行 [ ]• 3月20日• 午前0時頃 - 、サリン到着が遅いため井上が独断で東京から上九に向け出発し連絡不能に。 上九で麻原に怒られる• 午前2時頃 - 麻原は実行役に渋谷アジトから上九への帰還を指示。 また、サリン袋に触れ修法(エネルギーを吹き込む儀式)を行う。 先に井上が上九に到着するが、独断での出発を叱責される• 午前2時30分頃 - 井上がコンビニからビニール傘7本を購入。 がで傘先を削る• 午前3時頃 - 実行役5人と運転手・、第7サティアンに到着。 にサリンを撒く方法を教わり水で練習、その後サリン袋を受け取る• 午前5時頃 - 実行役5人と・、渋谷アジトに再移動 千代田線(我孫子発代々木上原行) [ ] 被害を受けた203系マト67編成 千代田線の発行き(A725K 、から直通 )は、散布役を 、送迎役を が担当した。 当該編成は所属のマト67編成(クハ202-107以下10連 )であった。 マスク姿の林郁夫はより入場し、とで時間を潰した後、先頭1号車(クハ202-107)に北千住駅(7時48分発)から乗車した。 8時2分頃、への停車直前にサリンのパックを傘で刺し、逃走した。 穴が開いたのは1袋のみであった。 列車はそのまま走行し、 - 間で乗客数人が相次いで倒れたのを境に次々に被害者が発生し、霞ケ関駅で通報で駅員が駆け付け、サリンを排除した。 当該列車は霞ケ関駅を発車したが更に被害者が増えたことから次ので運転を打ち切った(その後、扱いとなり、へ移動)。 サリンが入っているとは知らずにパックを除去しようとした駅員数名が被害を受け、うち駅の助役と応援の電車区の助役の2人が死亡し、231人が重症を負った。 丸ノ内線(池袋発荻窪行) [ ] 被害を受けた02系電車と同形の車両 丸ノ内線の発行き(列車番号A777)は、散布役を 、送迎役を が担当した。 当該編成は所属の第16編成(02-116以下6連)であった。 広瀬は2号車 02-216 に始発の池袋駅(7時47分発)から乗車し、か停車時に3号車(02-316)に移動、ドアに向かって立ち、到着時サリンを散布した。 で乗客から通報を受けた駅員が重症者を搬出し、サリンを回収したが、列車はそのまま運行を継続し終点荻窪駅に到着。 新しい乗客が乗り込みそのまま折り返したため、で運行が停止されるまで被害者が増え続けることとなった。 また、広瀬自身もサリンの影響を受け、林郁夫によって治療を受けた。 この電車では1人が死亡し、358人が重症を負っている(2020年、後遺症により更に1人死亡した)。 丸ノ内線(荻窪発池袋行) [ ] 丸ノ内線の荻窪発池袋行き(列車番号B701)は散布役を 、送迎役を が担当した。 当該編成は営団中野検車区所属の02系第50編成(02-150以下6連)であった。 横山は5号車 02-550 に(7時39分発)から乗車し、高架駅である進入時にパックに穴を開けサリンを散布した。 穴が開いたのは1袋のみであった。 列車は8時30分に終点池袋駅に到着。 その際、本来ならば駅員によって車内の遺留物の確認が行われるが、どういうわけかこの時は行われず、折り返し池袋発荻窪行き(列車番号A801)として出発した。 で駅員がサリンのパックをでしたが、運行はそのまま継続され、荻窪駅到着後に再び荻窪発池袋行き(列車番号B901)として池袋駅に戻った。 列車はに向け運行を継続した。 列車はサリン散布の1時間40分後、9時27分に国会議事堂前駅で運行を中止した。 同線では約200人が重症を負ったが、この電車は唯一死者が出なかった。 日比谷線(中目黒発東武動物公園行) [ ] 日比谷線の発行き(列車番号B711T 、北千住駅からへ直通 )は、散布役を 、送迎役を が担当した。 当該編成は所属の第11編成(21811以下8連 )であった。 豊田は先頭車両 28811 に始発の中目黒駅(7時59分発)から乗車し、ドア付近に着席、進入時サリンのパックを刺した (ニュースやワイドショーなどで、当該車両のドア脇に転がったサリンのパックが撮影された写真が用いられている)。 - 間で異臭に気付いた乗客が窓を開けたが複数の乗客が倒れた。 神谷町駅に到着後、乗客が運転士に通報し、被害者は病院に搬送された。 その後、後続列車が六本木駅を出たため、先頭車両の乗客は後方に移動させられ、列車は隣の霞ケ関駅 まで走行したのち、運行を取り止めた。 この電車では1人が死亡し、532人が重症を負っている(後に、事件翌日に心筋梗塞で死亡した1人についても、サリン中毒死と認定された)。 サリンの撒かれた車両には映画プロデューサーのも乗り合わせていた。 また当時社員のが神谷町駅構内におり、外国人1人を救出した。 日比谷線(北千住発中目黒行) [ ] 日比谷線の発行き(列車番号A720S )は、散布役を 、送迎役を が担当した。 当該編成は営団所属の第10編成(03-110以下8連 )であった。 他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対し、林泰男は3パックを携帯した。 また、3パックの内1パックが破損し、二重層のパックの内袋から外袋内にサリンが染み出ていた。 彼は北千住7時43分発中目黒行きの3号車 03-310 にから乗車した。 そして、で実行犯のうち最も多くの穴を開けサリンを散布した。 乗客はすぐにサリンの影響を受け、次ので乗客がサリンのパックをプラットホームに蹴り出した。 この状況下で一般乗客のとっさの判断を責められるものではないが 、後にサリンによる被害が拡大することになってしまった。 サリンのパックを小伝馬町駅で蹴り出した当該列車は、サリンの液体が車両の床に残ったまま運行を継続したが、5分後停車中に再度パニックに陥り、複数の乗客が前後の車両に避難し始めた。 8時10分に乗客がを押すと列車はで停車し、ドアが開くと同時に数人の乗客がホームになだれ込むように倒れた(この時の救出時の光景がテレビで中継された)。 列車は直ちに運転を打ち切った。 この光景を目撃した運転士が指令センターに「3両目から白煙が出て、複数の客が倒れている」と通報したため「築地駅で爆発事故」という憶測が続いた。 小伝馬町駅ではサリンのパックが出されたことで、A720Sの後続列車である、八丁堀・茅場町・人形町・小伝馬町で運転を見合わせた4つの列車と、小伝馬町駅の手前で停止し、小伝馬町駅に停まっていた列車を人形町駅の手前まで退避させた後に小伝馬町駅に停車した列車の5列車も被害を受けた。 小伝馬町駅では5列車が到着し、うち2列車が小伝馬町駅で運転を打ち切ったため、狭いホームに多数の乗客が下ろされ、列車の風圧などでホーム全体に広がったサリンを多数の乗客が吸引する結果となり、当駅では4人が死亡した。 これにより、本事件で最多となる6列車が被害を受け、8人が死亡し2,475人が重症を負った。 事件後 [ ] 事件後、実行犯らは渋谷アジトでテレビを見て事件の発生を確認し、は死人が出たことを知ると大はしゃぎしたという。 使った傘など証拠品はで焼却した後、実行犯らは第6サティアンに帰還して麻原に報告した。 麻原は、「ポアは成功した。 シヴァ大神、すべての真理勝者方も喜んでいる。 」「これはポアだからな、分かるな。 」と、あくまで事件はであったことを強調した。 そして、「『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね。 』のマントラを1万回唱えなさい」と命じ 、とを渡した。 麻原「今回はごくろうだったな」 新実「ニュースで死者が出ていると言っています」 麻原「そうか」 麻原「これはポアだからな。 わかるな。 これから君たちは瞑想しなければならない。 『グルとシヴァ大神とすべての真理勝者方の祝福によって、ポアされてよかったね』という詞章を一万回唱えなさい。 それが君たちの功徳になるから」 — 松本智津夫被告第19回公判での証言に基づく その他 [ ]• 林泰男の証言によると、当初の井上案では運転手役は、、男性信者(ホーリーネームはキタカ)で、と、と、キタカとで組まれたが(残りのとは未定)、3月19日に麻原の指示で運転手役は杉本以外変更された。 サリンパックを包んだ新聞は、• (丸ノ内線荻窪行) - 新聞名不明のスポーツ紙• (丸ノ内線池袋行) -• (日比谷線東武動物公園行) -• (日比谷線中目黒行) -• 林郁夫-新実組が赤旗を使用したのは林郁夫の運転手役のが「駅で買えないような新聞のほうが面白い」と考えたためで、現場に向かう途中で総評会館の玄関から抜いて窃盗し持ってきた。 また一緒にを配達員からもらってきたが、後でに罪をなすりつけることを考えると流石にこれは露骨すぎということで、外側を聖教新聞、内側を赤旗とし、内側の赤旗とサリンだけを落とした。 緊急処置 [ ] 事件発生後の8時10分、日比谷線は複数の駅で乗客が倒れ、また運転士から爆発事故との通報を受け、築地駅と神谷町駅に多くの緊急車両が送られた。 次第に被害が拡大したため営団は8時35分、日比谷線の全列車の運転を見合わせ、列車・ホームにいた乗客を避難させた。 一方で千代田線・丸ノ内線では不審物・刺激臭の通報のみで、更に被害発生の確認が遅かったため、運行が継続された。 9時27分、営団地下鉄のすべての路線で全列車の運転見合わせを決定した(当時営団地下鉄の他路線との接続がなかったも含む。 は併走区間を除いて未開業)。 その後、全駅・全列車を総点検し、危険物の有無を確認した。 被害者が多く発生した霞ケ関・築地・小伝馬町・八丁堀・神谷町・新高円寺のほか、人形町・茅場町・国会議事堂前・本郷三丁目・荻窪・中野坂上・中野富士見町の13駅にて救護所を設置し、病院搬送前の被害者の救護に対応した。 大混乱に陥った日比谷線は終日運転を取りやめることになり、丸ノ内線・千代田線については被災車両を車庫や引込み線に退去させたのち、霞ケ関駅を通過扱い(停車はするがドアの開閉はしないでそのまま発車)して運転を再開したが、サリンが散布されたことが判明してによる除染作業の必要が生じた。 そのため正午から約数時間、丸ノ内線は - 間、千代田線は - 間を部分運休した(このとき、霞ケ関駅の引込み線にあったも松戸電車区(現)まで回送されている)。 除染作業終了後はほぼ所定どおりのダイヤで運転を再開したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。 上記3路線以外の路線は確認を終えた路線から順次運転を再開させたが、全駅、全列車に、などが配置される異例の事態となった。 事件直後、この5編成以外の編成で事件が発生したという情報もあったが、これは情報の錯綜などによる誤報であり、5編成以外で発生はなかった。 しかし、乗客等に付着したり、気化したりしたサリンは他の駅や路線にも微細に拡散していった。 このためなどに由来する異臭が発生した。 なお純度の高いものは無色無臭で、皮膚からも体内に浸透する。 これに関して、麻原は1日程度で終わるサリン分留について「ジーヴァカ(遠藤)、いいよ、それで。 それ以上やらなくていいから。 」とに言っており 、純度よりも攻撃を最優先させたのではないかとされている。 救助活動 [ ] は・・など多数の部隊を出動させ被害者の活動や活動を行った。 東京消防庁はこの事件に対して救急特別第2、救助特別第1出場を発令、延べ340隊(約1,364人)が出動し被害者の救助活動・救命活動を展開した。 警視庁では東京消防庁との連携の下、を出動させ被害者の救助活動と後方の警戒にあたった。 当初は「地下鉄で爆発」「地下鉄車内で急病人」など誤報の通報が多くサリンによる毒ガス散布が原因とは分からなかったため、警察も消防も無防備のまま現場に飛び込み被害者の救出活動を行った。 現場では、東京消防庁の化学災害対応部隊である化学機動中隊が、原因物質の特定に当たったが、当時のガス分析装置にはサリンのデータがインプットされておらず、溶剤のを検出したという分析結果しか得られなかった(ただし、サリンの溶剤としてアセトニトリルが使用されていた可能性がある)。 さらに、この分析結果は、「化学物質が原因の災害である」ことを示す貴重な情報であったにもかかわらず、全現場の消防隊に周知されるまで、時間を要した。 警視庁 [ ] 霞ヶ関のの公務員は、通常は午前9時30分頃に出勤することが多いが、月曜日だけは朝早くにがあるところが多い。 警察庁では午前9時に対策本部を設置した。 警視庁でもをトップに対策本部を設置。 警視総監が事件の指揮を行った。 対策本部には警視庁、、も招集された。 通常の捜査は過去の出来事を調べるものだが、オウム真理教事件では目前で新たな事件が次々に起こっており、新たなを食い止める必要があったためにあらゆるを駆使したぎりぎりの判断を迫られるものであった。 が迫る頃には政府から警察に対し安全確保の要請が来た。 やでサリンを撒かれると大きな被害を出すという理由であった。 救出活動と並行しつつ、警視庁鑑識課が臨場し、散布された液状サリンのある地下鉄内に入って地下鉄車両1本を丸ごと封鎖し現場検証を開始した。 警察官が発見した事件現場の残留物の一部は、警視庁へ持ち込まれた。 鑑定官が検査するとその毒物が有毒神経ガス「サリン」であると判明。 この情報は、午前11時の警視庁捜査第一課長による緊急などを通じて関係各所へ伝達され、医療機関は対医療を開始した。 東京消防庁・病院 [ ] 東京消防庁には事件発生当初、「地下鉄車内で急病人」の通報が複数の駅から寄せられた。 次いで「築地駅で爆発」という通報と、各駅に出動した救急隊からの「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の報告が殺到したため、司令塔であるは一時的にパニック状態に陥った。 この事件では(東京23区)に配備されているすべてのが出動した他、通常の災害時に行われている災害救急情報センターによる傷病者搬送先病院の選定が機能不全となり、現場では、救急車が来ない・救急車が来ても搬送が遅いという状況が見られた。 緊急に大量の被害者の受け入れは通常の病院施設では対応困難なものであるが、大きな被害の出た築地駅至近のは当時の院長の方針 から大量に患者が発生した際にも機能できる病院として設計されていたため、日野原の「今日の外来は中止、患者はすべて受け入れる」との宣言のもと無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった。 又、にも救急車で被害者が数十名搬送され、一般外来診療は直ちに中止。 その後、警察から検証の為にとの理由で、被害者の救急診療に携わった病院スタッフの白衣などが押収された。 も、数名の重症被害者を(集中治療室)に緊急入院させ、人工呼吸管理、大量のPAM投与など高度治療を行うことで治療を成功させた。 また、翌日の春分の日の休日を含め特別体制で、数百人の軽症被害者の外来診療を行った。 系中毒の解毒剤である PAM は主に農薬中毒の際に用いられるものであり、当時多くので大量ストックする種類の薬剤ではなく、被害がサリンによるものだと判明すると同時に都内でのストック分が使い果たされてしまった。 聖路加国際病院から「大量のプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)が必要」と連絡を受けた、に本社を置く薬品卸会社のは、首都圏でのPAMの在庫がほとんどなかったことから、沿線にある各営業所および病院・診療所にストックしてあるPAMの在庫を集め、東京に至急輸送する為に、から社員を新幹線に乗せ、・・の各駅のホームで、乗っている社員に直接在庫のPAMを受け渡して輸送する緊急措置を取った。 陸上自衛隊衛生補給処からもPAM 2,800セットが送られた。 またPAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMやを関西地区から緊急空輸し羽田からはパトカー先導にて治療活動中の各病院に送達した。 PAMは赤字の医薬品であったが、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で、有機リン薬剤を作っている責任上解毒剤も用意しておくのは同社の責任だとして毎年製造を続けていた。 有機リン系農薬中毒の治療に必要なPAMの本数は一日2本が標準であるが、サリンの治療には、2時間で2本が標準とされる。 当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、第三内科()教授のがで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファックスで伝えたため、適切な治療の助けとなった。 一方で、「急病人」「爆発火災」「異臭」という通報で駆けつけた警察官やの多くは、サリンに対してはまったくの無防備のまま、地下鉄駅構内に飛び込み、救急救命活動に当たったため、多数の負傷者を出した。 この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に散布されるという状況の把握が非常に困難な災害であり、を含む現場での活動や負傷者の搬送、消防・救急隊員などへの二次的被害の防止といった、の多くの問題を浮き彫りにした。 自衛隊 [ ] では、警察に強制捜査用のや機材を提供していた関係上、初期報道の段階でオウムによるサリン攻撃であると直ちに判断。 事件発生29分後にはなどの関係部署に出動待機命令が発令され、化学科職種である第1・第12師団司令部付隊(化学防護小隊)、、及びから教官数人が、事件後地下鉄内に残されたサリンの除去のため専門職として部隊創設後初めて実働派遣された。 そのうち第1師団において、午後12時50分鈴木東京都知事から陸上自衛隊第1師団長、杉田明傑陸将に対し「地下鉄霞ヶ関駅構内の有毒ガス除去のため自衛隊の災害派遣」を要請。 午後1時30分、霞ヶ関駅に到着、偵察(ガス検知器2型でサリンを検知)そして除染作業(化学兵器で汚染されたものを無害化することを「除染」という)を行なった。 以下細部状況として、第1師団化学防護小隊のエキスパート隊員は、防護マスクに化学防護衣を装着。 ガス検知をした後、事件発生の霞ヶ関駅構内、駅長室までも、付着した有毒物質「サリン」を中和させる塩素酸ナトリウム溶剤(さらし粉、苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)類)を携帯除染器2型(噴霧器)で散布。 第2波の隊員合流後、松戸電車区(現松戸車両センター)などへも移動して夜中まで除染作業は続いた。 地下鉄サリン事件で、都知事からの要請があり、一番早く事件現場に駆けつけたのが練馬駐屯地に編成している第1師団の化学防護小隊(当時24名在籍、現在は第1特殊武器防護隊に改編)の生え抜き6名のスペシャリストであった。 他に事件現場の特性として、除染を行う範囲が広範囲であったため、を中心 とし各化学科部隊を加えた臨時のサリン除染部隊が編成され、実際の除染活動を行った。 また、自衛隊では警察庁の要請を受けて、自衛隊中央病院及び衛生学校から21名及び看護官19名が、・聖路加国際病院等の8病院に派遣され、硫酸アトロピンやPAMの投与や、二次被曝を抑制する除染といったプロセスを指示する『対化学兵器治療マニュアル』に基づいて、治療の助言や指導を行った。 医官は直前に行われていた幹部研修において化学兵器対応の講習を受けていた。 聖路加病院へ駆けつけた医官は現場派遣時に講習資料を持ち出し、講習で得た知識・資料と患者の様子から化学兵器によるテロと判断し、PAMや硫酸アトロピンの使用を進言し、早期治療の要因ともなった。 なお、自衛隊では関東周辺の陸上自衛隊各部隊 に対し対応を行なったものの、実働は本稿に記載されているように、最小限の部隊を派遣した。 報道関係 [ ] 在京キー局の中で、現場映像と同時に事件速報がもっとも早かったのが、で生放送中だった『』であった。 事件が発生した日、在京の地上波テレビでは以外全ての局において8時30分以降の通常番組がに変更された。 また、事件発生から2日後の強制捜査の中継も放送された。 新聞・テレビなどの各は、本年1月に発生したを中心に報道してきたが、事件発生日を境に全国ネットのメディアはほとんどがこのサリン事件を中心に報道するようになった。 テレビではワイドショーや一般のニュース番組でこの事件やオウム真理教の事を事細かく報じ(興味本位の報道も目立った)、毎週1、2回は「」として、ゴールデンタイムにオウムに関する報道特番が放送された。 新聞も一般紙はもちろんのことまでが一面にオウムやサリンの記事を持ってくる日がほとんどで事件当時開幕を控えていた関係の記事が一面に出ることは5月までほとんどなかった。 この過熱報道は麻原が逮捕される日まで続いた。 事件の発生はただちに世界各国へ報じられ、その後も世界各地ではオウム関連のはトップとして扱われた(国松長官狙撃事件や全日空857便ハイジャック事件、麻原教祖逮捕など)。 オウム真理教による一連の行動を東京支局を含めて全く察知していなかったのでは、東京支局経由で速報を伝える段階で「系テロリストによる犯行の可能性がある」と間違って報じた。 被害者 [ ] 事件の目撃者は地下鉄の入り口が戦場のようであったと語った。 多くの被害者は路上に寝かされ、呼吸困難状態に陥っていた。 サリンの影響を受けた被害者のうち、軽度のものはその徴候にもかかわらず医療機関を受診せず仕事に行った者もおり、多くはそれによって症状を悪化させた。 列車の乗客を救助したことでサリンの被害を受けた犠牲者もいる。 目撃者や被害者は現在も(PTSD)に苦しみ、電車に乗車することに不安を感じると語る。 また、慢性的疲れ目や視力障害を負った被害者も多い。 被害者の8割が目に後遺症を持っているとされる。 そのほか、被害者はに罹患する者も一般の者に比べて多い傾向があり、事件後かなり経ってから癌で亡くなる被害者も少なくない。 また、その当時重度な脳中枢神経障害を負った被害者の中には、未だに重度な後遺症・神経症状に悩まされ、苦しめられている者も数多くいる。 裁判では迅速化のため、負傷者は当初3,794人とされ、1997年12月には変更により14人に絞っている。 作家のによる被害者への集『』があるほか、自身も事件に巻き込まれた映画プロデューサーのさかはらあつしによる著書『』がある。 ジャーナリストのも事件に遭遇した自身の体験をもとに評論、エッセイ、小説などを書いている。 その他、フリーダイビング選手のやカメラマンのもこの事件に遭遇している。 2009年、候補にサリン事件の被害者が選ばれたため、問題となった(実際には裁判員にならなかった)。 事件の翌日、心筋梗塞で死亡 56歳女性 2020年3月10日死亡 丸ノ内線・池袋発・中野坂上駅• 事件当日はそのまま埼玉県に墓参りに出かけ、食事も普通に摂った。 翌日、銭湯で倒れ、心筋梗塞で死亡。 丸一日普通に行動できたことから、サリン吸引と死亡の因果関係が証明できないとして、起訴状では殺人未遂罪の被害者とされ、訴因変更後は未遂被害者からも除外されていた。 しかし、2008年12月施行のではサリン吸引が浴室での事故の原因と判断され 、13人目の死者として認定された。 2010年3月6日には被害者の会が救済金を支給していると公表した。 捜査 [ ] 家宅捜索 [ ] 教団の目論見とは裏腹に事件の2日後の22日、警察は全国の教団施設計25箇所で家宅捜索を実施した。 自動小銃の部品、軍用ヘリ、サリンの製造過程で使用されるやなどの薬品が発見された。 また、事件前の1月にはの土壌からサリンの残留物が検出されたことから地下鉄サリン事件はオウム真理教が組織的に行ったと推定したが、決定的な証拠が得られなかった。 サリンをまいた実行犯も特定できず、松本智津夫ら幹部を逮捕する容疑が見つからなかった。 強制捜査後、オウム側は関与を否定するため、• サリンの原料は農薬をつくるためであり第7サティアンも農薬プラント• その他の劇物も兵器用ではない、劇物の保有量が多いのは不売運動に遭っているのでなるべく大量購入しているだけ• オウムは米軍機などから毒ガス攻撃を受けており、上九一色村で発見されたサリン残留物は彼らが撒いたもの• オウムがやったなら東京にも信者がいるので巻き添えになる• や、の陰謀 といった主張を唱えた。 実態解明 [ ] 事件から19日後の4月8日、警察は教団幹部であったをの容疑で逮捕した。 教団に不信感をつのらせていた林が「私が地下鉄にサリンを撒いた」と取り調べていた警視庁に対し自白。 地下鉄サリン事件の役割分担などの概要を自筆でメモに記した。 このメモで捜査は一気に進み、5月6日、警察は事件をオウム真理教による組織的犯行と断定し一斉逮捕にこぎつけた。 この頃にはすでに、などが相次いでいた。 4月23日、が発生。 これにより事件のキーパーソンである村井の持つ情報を引き出すことが不可能となった。 も製造補助の被疑者として逮捕されたが、証拠不十分のため本事件についてはとなった。 また、リムジン謀議の同席者・や、傘を研磨したはこの件で起訴されていない。 余波 [ ] 地下鉄サリン事件は国内史上最悪のテロ事件であった。 日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに1994年(平成6年)に発生したテロ事件であるに続き、一般市民に対してが使用された事件として全世界に衝撃を与え、世界中の治安関係者を震撼させた。 オウム真理教 [ ] 一連のによりオウム真理教は宗教法人の認可取り消し処分を受けた。 警察の捜査と幹部信者の大量逮捕により脱退者が相次ぎ(地下鉄サリン事件の発生から2年半で信徒数は5分の1以下になった)、オウムは組織として大きな打撃を受けしたが、現在 [ ]はに改組し活動を続けている。 アレフ2代目代表で、現代表のは、地下鉄サリン事件が起きた際、オウム真理教の事件の関与を否定し続けたスポークスマンであった。 日本のは 破防法 に基づく解散措置の適用を見送ったが、が制定され、は現在もアレフをグループに指定している。 やが信者の居住を拒否したり、商店主が信者へのの販売を拒否する事例も相次いだ。 また、信者への住居の賃貸、の販売の拒絶も相次ぎ、一部の自治体では信者の退去にを使うこととなった。 被害者の後遺症・PTSD [ ] 事件の被害者は後遺症に悩まされる日々が続いている。 の低下など、比較的軽度のものから、などの精神的なもの、重度では寝たきりのものまで、被害のレベルは様々であるが、現在の所被害者への公的支援はほとんど無い。 不審物への対応 [ ] この事件後、全国の多くのが撤去され、営団地下鉄はこれ以降全車両のドアに「お願い 駅構内または車内等で不審物・不審者を発見した場合は、直ちにお近くの駅係員または乗務員にお知らせ下さい」という文面の警告を貼りつけた(その後、東京地下鉄(東京メトロ)への移行に前後して版も掲出、同時期ににも拡大)。 同様のステッカーやアナウンスなどが他のに波及するようになるのは以降である。 その後、各鉄道事業者で外観から中身が見えるゴミ箱が設置されるようになり、東京メトロでも2005年4月より設置されている。 裁判で未解決の問題 [ ] 事件で使用されたサリンの原料は誰が保管していたのか [ ] 地下鉄サリン事件ではCH 3P O F 2(裁判での通称「ジフロ」、一般的には「DF」)からサリンが作られた。 検察側は、サリンを作るために中川が保管していたと主張。 中川は「できなかったためにと一緒に井上が持っていたものがサリンの原料になった」と主張した。 この点について井上は、「VXは預かっていたが他は知らない」と証言した。 中川によると、このジフロはにと共にクシティガルバ棟を再点検した際にと共に発見されたもので、中川は体調が悪くもサリン中毒、そのうえ防護服も処分していたので中和は断念し、保存されることになったという。 中川の最初の主張 ジフロは自分が持っていた。 ジフロがあればサリンをすぐ生成できるため、捨てるのが惜しくなって第二上九の塩置き場に隠していた。 中川の新主張 ジフロは井上が持っていた。 強制捜査で発見されないように、とりあえず井上に渡し杉並アジトへ持っていかせそこでVXと一緒に保管していた。 そして夕方に村井がジフロを持ってきていて、サリン製造をやるように指示された。 主張が変わった理由は、ジフロと一緒にVXを保管していたのでVX事件が明らかになる恐れがあり、井上に悪いと思ったため。 サリン事件前日にジフロを上九一色村に持ち帰ったのは井上の可能性が高い。 村井には保管場所を教えていないし、フットワークも軽くない。 中川以外の裁判では検察側の主張が認められたが、中川の裁判では事実上中川の主張が認められて、ジフロが残っていた理由や誰が持っていたのかについては不明と認定された。 裁判によって認定が異なり、結論が出ていない。 警察は地下鉄サリン事件を予期していたのか [ ] 2010年(平成22年)2月22日、は、事件当時のだったが地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人であるのに答えて「警察当局は、オウム真理教が3月22日の強制捜査を予期して何らかのかく乱工作に出るという情報を事件の数日前に得ていた」と発言した報道を配信した。 国松は「情報に具体性がない」ために予防措置を講じることは不可能だったとの認識を示しているが、共同通信は「当時の捜査があらためて問われそうだ」と報道している。 これとは別に、警察が事前にサリンが撒かれることを知っていたのではないかという指摘も存在する。 事件の2日後の3月22日に予定されていた教団施設への一斉捜索に備え、地下鉄サリン事件の直前の教団幹部の動きはすべて警察によって把握されていたはずだという。 また、事件前日に自衛隊が朝霞駐屯地でガスマスクを着けてサリンに対応した捜索の演習を行っており、警察は地下鉄サリン事件が起こる前にオウムがサリンを持ってることを把握していたはずとも指摘されている。 また、1995年1月1日のスクープを出した元記者によると、捜索は4月の統一地方選の後に予定されていたという。 異説 [ ] 予言の成就説 [ ] 検察側は、地下鉄サリン事件が警察による教団に対する大規模な強制捜査を攪乱する目的であったと主張した。 裁判所は検察側の主張通り、「間近に迫った教団に対する強制捜査もなくなるだろうと考え」た、との認定をした。 しかしは、2014年2月4日の平田信公判において「サリンをまいても、強制捜査は避けられないという結論で、議論が終わっていた。 しかし松本死刑囚は、『一か八かやってみろ』と命じた。 自分の予言を実現させるためだったと思う。 」 、2015年2月20日の高橋克也の公判において「『宗教戦争が起こる』とする麻原の予言を成就させるために、事件を起こしたと思った」と証言している。 なお、リムジンに同乗していた側近も含めて多くの幹部信者たちが、「サリンを撒いたところで強制捜査がなくなるわけではないし、むしろ早まる可能性があると考えていた」と証言している。 井上は証言がよく揺れており 、この証言について、井上が平田公判で初めて証言したとの批判があるが、実際は1996年11月8日の麻原公判で証言していると本人は主張している。 また別の意見として、は麻原信仰を続けていたころ法廷で「サリンの散布で国家転覆はできない」「大量殺人が目的とすれば、私なら(サリンと比べて合成がはるかに簡単な)を使う」と語った。 弟子の暴走説 [ ] 裁判で麻原と弁護団は弟子が暴走したと主張。 しかし麻原の地下鉄サリン事件への関与はリムジン謀議だけに留まるものではなく、他にも「(に対し)ジーヴァカ、サリン造れよ」「ポアされてよかったね」「(犯行を目撃されたことを気にするに対し)大丈夫だよ。 見た人はいってるよ」と地下鉄サリン事件の発生をむしろ喜んでいるような発言を行っていることが裁判で認定され 、結局弟子の暴走説は認められず麻原は本事件の首謀者とされた。 死刑確定後もらによって主張されているが 、森は判決文を意図的に無視し、リムジン謀議以外の麻原の関与をなかったことにしているとらに批判されている。 この他、運転手役の一人であるからもありえないと指摘されている。 関連事件 [ ]• 4月19日にはが発生したが、オウムとは全く関係無い便乗犯による犯行であった。 この他にも、比較的入手しやすい塩素系ガス(致死性があり有毒ガスではあるが殺人に適しているとは言いがたい)を使った便乗犯・愉快犯が相次いだ。 5月16日、麻原逮捕の夜、(当時)宛の郵便物が開封した瞬間に爆発する事件が発生する()。 同年6月に起きたで犯人がオウム教団を名乗り、液体の入った(サリン入りとしていたが実際には)を見せ「をしろ」と要求した。 犯人逮捕後、オウムとは無関係のによるものであったことが判明した。 3月30日、事件の指揮に当たった、警察庁長官(当時)が自宅の前で銃撃される事件が発生()。 オウム捜査との関連が疑われたが、犯人が特定されないまま、2010年3月30日に時効を迎えた。 類似の攻撃事件 [ ]• 1974年、8人死亡・367人負傷• 1980年、6人死亡・14人負傷• 2001年、3,025人死亡・6,291人負傷• 2001年、5人死亡・17人負傷 類似の鉄道攻撃事件 [ ]• 2003年、192人死亡・148人負傷• 2004年、191人死亡・2050人負傷• 2005年、56人死亡・700人負傷• 2004年()、41人死亡・約102-120人負傷• 2010年、39人死亡・102人負傷• 、14人死亡・86人負傷• 2004年()、14人負傷() 文化 [ ]• 同年7月15日に『』と同時公開された『』はその内容やサリン事件の余波から、オウム真理教がモデルと考えたファンが多かったが、同作品の下書きは事件の2ヶ月前のため、実際はただの偶然である。 黎明期であった日本のに、当事件に関連したいわゆる「」やAA()が相次いで投稿されるなど、日本のに多大な影響を与えた。 地方の中学校及び高等学校などでは、この事件を受けて東京への修学旅行を中止するところもあった。 当事件後の一部報道でにオウム真理教の教団の信者が潜伏していたと誤報されたことに乗じたとみられる、当時休校中のへの事件に関する落書きなど破壊行為の跡が残っている。 2010年3月20日、発生から15年となった、東京メトロ(東京都千代田区)で慰霊式が開かれ、首相(当時)や国交相(当時)らが献花に訪れた。 2015年3月、東京・中央区ので、当時の現場の様子やその後の取り組みなどを伝える展示会が開催された。 この事件を扱ったテレビ番組 [ ]• 「」 日本テレビ (2004年2月24日放送)• 「」 フジテレビ (2010年3月20日放送)• 「」 NHK• file. 02 オウム真理教(2012年5月26日・同27日放送)• file. 04 オウム真理教 地下鉄サリン事件(2015年3月20日放送)• 「」 テレビ朝日 (2015年2月21日放送) 関連書籍 [ ]• 行政の死者数認定は13人であるが、司法の死者数認定では12人である。 これは事件発生翌日に銭湯で倒れ心筋梗塞で死亡した76歳男性の死について「サリン中毒死とは言えない」として殺人未遂で起訴したためである。 後述の訴因変更後には、殺人未遂の被害者からも除外された。 その後、2020年3月10日にサリンの後遺症により更に1人が亡くなった。 そのため、無期懲役が求刑された他の送迎役4人とは異なり死刑が求刑され、2010年1月19日に最高裁で上告棄却、求刑通り死刑判決が確定した。 第一審・東京地方裁判所では「本事件については連絡役に留まる」として死刑求刑に対し無期懲役判決を受けたが、控訴審では「現場指揮者ではないが総合調整役として無差別大量殺人に重要な役割を担った」として一審判決が破棄され死刑判決を受けた。 ある自衛官信者の愛称。 豊田はその後、村井とに計画を告げられた。 末尾KはJR東日本の車両(または)による運行。 千代田線は綾瀬駅からJR東日本常磐線(各駅停車)と相互直通運転し、まで乗り入れる。 平成23年7月廃車後、同年9月に譲渡• 2009年11月6日に最高裁で上告棄却、求刑通り死刑判決が確定した。 2003年10月14日に最高裁で上告棄却、求刑通り無期懲役判決が確定した。 2007年7月20日に最高裁で上告棄却、求刑通り死刑判決が確定した。 2004年2月9日に最高裁で上告棄却、求刑通り無期懲役判決が確定した。 末尾Tはによる運行。 日比谷線は北千住駅から東武伊勢崎線と相互直通運転し、東武動物公園駅まで乗り入れる。 なお、事件当時はへは乗り入れていなかった。 2009年11月6日に最高裁で上告棄却、求刑通り死刑判決が確定した。 2018年1月25日に最高裁で上告棄却、求刑通り無期懲役判決が確定した。 平成29年9月廃車後、先頭車は東武20400型へ転用。 当時、は未開業。 末尾Sはによる運行。 後にの運転手を務めた元女性信徒と獄中結婚したため、姓名を 小池泰男に改めた。 2008年2月15日に最高裁で上告棄却、求刑通り死刑判決が確定した。 2009年4月20日に最高裁で上告棄却、求刑通り無期懲役判決が確定した。 平成29年11月廃車。 から相互直通先のに合わせて号車順序を逆転させたため、以後は6号車に当たる。 なお、日比谷線と東急東横線の相互直通運転は(平成25年)をもって終了した。 この乗客がサリンあるいはそのような猛毒物であるかを、認識していたのかどうかは不明であるが、認識していたとしてもにより刑事・民事いずれも免責される。 また、この乗客自身もサリンの被害を受け、八丁堀駅で下車し、救助される際に不審物の形状を詳細に伝え、それを途中の駅で蹴り出したことを現場で伝えてたことにより、不審物の捜索が一斉に伝えられた。 実際には神経ガスを吸引して判断能力が減退しており、その一事を持っても免責される。 途中駅で負傷者が下車したため多数の駅で救護活動が行われたり、サリンが列車外に出されてホーム上でも被害を出したことで、被害が発生した「列車」の特定が困難となったため、5編成以外にも事件が発生したという誤報につながった可能性が高い。 また、車内や駅構内に残された忘れ物やゴミが不審物として通報されたこともあり、混乱に拍車がかかったと思われる。 さらに、現場で負傷者のが行われなかったために、搬送先病院でも負傷者に付着したサリンが気化し、医療関係者を襲うという二次被曝も発生した。 戦時中の医療経験、の際、多くの被災者が病院に収容できず、野外で満足な治療を受けることなく死亡したことを反省、教訓としている。 このときの顛末はの番組『』でも取り上げられた• 検証後、返却出来る物品は返されている• この際、drug dex,poison dexというの医薬品情報からも米軍事演習の事故でのサリン中毒患者への具体的な治療法を入手し、下記のと共に治療の参考とした• 本部管理中隊施設作業小隊を中心に要員を選抜。 施設作業小隊は施設科に関する任務の他に部隊が生物兵器等に汚染された場合に備えて除染装置等が配備されており、部隊及び個人の除染に関する各種訓練を受けていたため。 また各普通科中隊も化学防護衣等の運用に関して最小限の訓練を行っていた事も普通科部隊の派遣に繋がっている。 第101化学防護隊はサリンなどの神経ガスをはじめとした化学兵器についての知識や経験が豊富であり、・・化学兵器(いわゆるNBC兵器)の防護技術に精通した日本最高のスペシャリストである。 この事件がきっかけでその重要性が示されることとなった• なお、派遣した隊員が出動から約8時間以上もの間、防護服を着用状態のため、尿意に対し対処できず、後に支給された戦闘用防護衣には排尿器(専用紙オムツ)が支給されることとなった• もし、柳澤教授や自衛隊による適切な助言や指導、そしてこれら薬剤が無ければ、更に数百名の被害者が死亡していたと想像される• 第1空挺団を含む在京の全ての部隊に第3種非常呼集が発令• 2020年3月10日に死去した被害者女性は、視力と体の自由を失い、言語症も患っていたため、の生活を余儀なくされた。 なお、この女性は2004年2月25日のの記事 に掲載された当時は匿名だったが、2005年以降は実名が公表されている。 日本では「事件」として扱われる向きが多かったが、特にでは「化学テロ」として大々的に扱われ、その対応策なども含め大きく注目された。 現在でも諸外国の軍隊マニュアルで、化学テロの事例として紹介されている• 犯罪被害の賠償は原則として加害者が行うのが慣例であるが、現在のアレフに賠償能力が無いため、犯罪被害への公的補償の必要性が論じられている [ ]• 松本智津夫被告一審判決では、「ところで、関係証拠に照らすと、井上は、(略)自己の刑責を軽減させるために既に死亡している村井や逃亡中であった林泰男に一部責任を転嫁し、自己の役割をわい小化する不自然不合理な供述をしている。 しかしながら、自己の刑責を軽減させるために死亡した者や逃亡中の者に一部責任を転嫁する供述がみられることから直ちに、長い間グルとして信仰してきた被告人の面前で供述した、地下鉄サリン事件に被告人が関与している旨の井上証言の信用性が左右されるものではなく、その信用性が高いことはこれまで説示してきた理由から明らかというべきである。 (略)リムジン車内において、被告人と村井、井上及び遠藤の間で、地下鉄電車内にサリンを散布する無差別大量殺りくについて共謀が成立していたことは明らかである。 この点に関する弁護人の主張は採用することができない。 」とされている。 出典 [ ]• 2010年3月11日. の2013年5月16日時点におけるアーカイブ。 2012年6月18日閲覧。 にある表記• 降幡賢一『オウム法廷2下』 p. 256, 268• 202• 『オウム法廷2(下)』 p. 255• 299-312• 降幡賢一『オウム法廷12』 p. 292• 121• 1995年3月当時は報道機関によって呼称がまちまちだった。 『オウム真理教大辞典』(東京キララ社、 p. 毎日新聞社会部『オウム「教祖」法廷全記録7』 p. 228• 降幡賢一『オウム法廷2 下』p. 122-129• 辺見庸『自分自身への審問』毎日新聞社 2006年• 『オウム法廷2 上』 p. 324-327• 江川紹子『「オウム真理教」裁判傍聴記2』 1997年 p. 187• 降幡賢一『オウム法廷5』 p. 307• 「松本智津夫被告 第19回公判詳報」読売新聞 1996年11月7日• 降幡賢一『オウム法廷5』 p. 294• 佐木隆三『「オウム法廷」連続傍聴記2 麻原出廷』1996年 p. 降幡賢一『オウム法廷 グルのしもべたち下』 p. 205• 352• 263• 日本経済新聞. 2020年3月19日. 2020年3月19日閲覧。 『ヴァジラヤーナ・サッチャ no. 9』オウム出版、1995年 p. 朝日新聞2015年1月11日朝刊「オウム真理教生んだ闇 今なお」• 238-242, 251• 降幡賢一『オウム法廷4』 p. オウム裁判対策協議会• 森達也『A3』 集英社インターナショナル、2010年• Yahoo! ニュース. 2015年4月30日. 中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」『』2016年11月号62-67頁、• 『東京読売新聞』2004年2月28日朝刊「オウム松本被告判決の要旨」• NHK ONLINE. 2014年2月4日. 朝日新聞DIGITAL. 2015年2月20日. 森達也『A3』 集英社インターナショナル、2010年• 『東京読売新聞』1996年11月9日朝刊「松本智津夫被告第15回公判法廷詳細 師弟対決「首謀」めぐり激しい火花」• 降幡賢一『オウム法廷13』p. 23-25• 滝本太郎ブログ「」• 2018年3月25日閲覧。 47NEWS 2010年3月20日• 警視庁 関連項目 [ ]• (組織的犯罪処罰法)• (団体規制法・オウム新法)• - 村上春樹による当事件の被害者・関係者へのインタビューをまとめた作品• - の作曲家。 実行犯の1人・豊田を追ったドキュメンタリー『』で2006年の賞。 - 事件現場となった駅と鉄道車両(一部)の運営、運行会社• - 帝都高速度交通営団より事業を承継• - 当時の• 外部リンク [ ]• - 日本放送協会(NHK)• 『』 -.

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