天 の 原 ふり さけ 見れ ば 春日 なる 三笠 の 山 に 出 で し 月 かも。 【百人一首講座】天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも─安倍仲麿 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

百人一首の意味と文法解説(7)天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも┃阿部仲麿

天 の 原 ふり さけ 見れ ば 春日 なる 三笠 の 山 に 出 で し 月 かも

「月の出」 だまって だまって ほうら、出ますよ。 お山の ふちが ぼうっと明るよ。 お空の そこと 海のそことに、 なにか 光が とけていますよ。 「昼の月」しゃぼん玉みたいな お月さま 風吹きゃ、消えそな お月さま。 いまごろ どっかのお国では、 砂漠をわたる 旅びとが、 暗い、暗いと いってましょ。 白いおひるの お月さま、 なぜなぜ 行ってあげないの。 「月日貝」 西のお空は あかね色、 あかいお日さま 海のなか。 東のお空 真珠いろ、 まるい、黄色い お月さま。 日ぐれに落ちた お日さまと、 夜あけに沈む お月さま、 逢うたは深い 海の底。 ある日 漁夫にひろわれた、 赤とうす黄の 月日貝。 「月のお舟」空いつぱいのうろこ雲 お空の海は大波だ。 佐渡から戻る千松の 銀のお舟がみえがくれ。 黄金の櫓さえ流されて いつ、ふるさとへ着こうやら。 みえて、かくれて、荒海の 果から果へ、舟はゆく。 作詞・作曲:Bart Howard Fly me to the moon And let me play among the stars Let me see what spring is like On Jupiter and Mars In other words hold my hand In other words darling kiss me Fill my life with song And let me sing forevermore You are all I hope for All I worship and adore In other words please be true In other words I love you.

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百人一首の意味と文法解説(7)天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも┃阿部仲麿

天 の 原 ふり さけ 見れ ば 春日 なる 三笠 の 山 に 出 で し 月 かも

百人一首(ひゃくにんいっしゅ、ひゃくにんしゅ)とは、100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰、つまり歌集のことです。 よって、百人一首は、ひとつだけでなく、いろいろな百人一首があるわけですが、一般的に「百人一首」と呼ばれて知られているのは、「小倉百人一首」のことです。 小倉百人一首は藤原定家が編纂 この小倉百人一首は、藤原定家が編纂をしました。 時代は、平安時代末期から鎌倉時代初期。 元々は、歌と絵柄を使ったふすまを装飾する色紙とするというものでした。 それを、依頼を受けた定家が作成、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためたものが、百人一首として定着したものです。 このようなものを「掛詞」(かけことば)といいます。 短歌の技法の一種です。 春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 読み:はるすぎて なつきたるらし しろたえの ころもほすてう あめのかぐやま 作者: 持統天皇 現代語訳: 春が過ぎて夏となったようだ。 香具山に白い衣が干してあるのが見える 注釈: 持統天皇は女性の天皇で、内容も女性らしい着眼点があります。 百人一首では「夏来にけらし」は、万葉集では「夏来たるらし」となっています。 この歌について詳しく詠む: わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじやまと ひとはいうなり 作者: 喜撰法師 現代語訳: 私の庵は都の東南にあり、このように心静かに暮らしている。 それにもかかわらず、私が世を憂いて宇治山に引きこもったと世間の人は言っているようだ 注釈: 3句切れ 「しか」は「このように」の意味。 喜撰法師は平安初期の僧で歌人。 六歌仙の一人。 宇治山に隠棲し、仙人になったと言われてます。 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関 これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき 作者: 蝉丸 現代語訳: これがあの、東国へ行く人も都へ帰る人もここで別れ、また、知っている人も知らない人もここで会うという逢坂の関なのです 注釈: 指示代名詞の初句に始まって、反復の弾むような調子の名歌です。 句切れなし。 体言止め。 天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ あまつかぜ くものかよいじ ふきとじよ おとめのすがた しばしとどめん 作者: 僧正遍昭 現代語訳: 空の風よ、天に戻っていきそうな、 この美しい天女たちをとどめておくれ。 今しばらくその舞を見ていたいと思うから 注釈: わかりやすくすがすがしい内容で良く知られている歌です。 三句切れ 君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ 作者: 光孝天皇 現代語訳: あなたのために春の野に出て若菜を摘んでいると、春だというのに私の着物の袖にも雪が降りかかっています。 注釈: やさしく繊細な恋の歌。 雪の中でも花を摘んでいるのですよ、として、花と雪との美しい取り合わせと、人に寄せる思いを詠みます。 「つつ」はここでは「しながら」ではなくて、動作の反復・継続を表す接続助詞で、「し続けるの意味。 陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに 作者: 河原左大臣 現代語訳: 陸奥の しのぶ ずりの模様のように心が乱れはじめるような私ではないのに 注釈: 有名な恋の歌。 「もぢずり」とは、 陸奥の 信夫( しのぶ)地域で産した乱れ模様に染めた布のこと。 そのように乱れた心、と視覚的な提示をして、自分の心の様がこのようである、としています。 「われならなくに」は万葉集にもある句で、「…のような私ではないのに」(でもそうなっている)と思いのままにならない自分自身の心を表す表現です。 「乱れそめる」は乱れ始めるの意味。 あなたに会ってから、もじずりの模様のように心が乱れ始めてしまった。 いつもならそうではないのに、と相手が特別であることを表します。 ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは 作者: 在原業平 現代語訳: 神の時代にも聞いたことがない。 竜田川の水を紅葉が紅色にくくり染めにするとは 注釈: 2句切れ。 下二句は倒置。 「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞。 「からくれない=唐紅」 韓から伝わった紅であざやかな紅色。 在原業平はこの時代の有名な歌人で、六歌仙・三十六歌仙の一人です。 下の句の「から」「くれ」「くくる」の連続のカ行とラ行が小気味よい調子を作り出しています。 住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん 作者: 藤原敏行 現代語訳: 住之江の岸に寄せる波の「寄る」という言葉ではないが、夜の夢の中の通う道でさえ、あなたは人目を避けて出てきてくれないのでしょうか。 注釈: 句切れなし。 「寄る」「夜」の反復や、掛詞など技巧的な有名な歌。 「人目よくらむ」は「人目」を「さける」、「らむ」の推量「だろう」。 難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや 作者: 伊勢 現代語訳: 難波潟の葦の節と節との短さのように、ほんの短い間でも逢わずに、一生を過ごしてしまえと、あなたは言うのでしょうか。 注釈: 作者伊勢は藤原氏の娘、平安時代の日本の女性歌 人。 三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。 長いを表すのに鳥の尾を使った歌を上に見ましたが、これは短いことを表すのに「節の間」を提示しています。 そのように、ちょっとの前でも会えない、会いに来てくれない、 相手のつれなさを詠ったものですが、感情的ではなく技巧がまさった歌です。 大江山 いく野の道のとほければ まだふみもみず天の橋立 おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず あまのはしだて 作者: 和泉式部 現代語訳: 大江山を越えて、生野へとたどっていく道が遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともなければ、母からの手紙も見ておりません。 注釈: 「歌の名人であるお母さんに、かわりに歌を詠んでもらったのでは」とからかわれた和泉式部が返した見事な歌。 生野の地名に「行く」、「ふみ」に「踏む」「文」(手紙)の掛詞の技法が使われています。 和泉式部はこの時代の代表的なすぐれた歌人のひとりです。 この一首を見ても、その際は歴然としています。 ほととぎす 鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる 作者: 後徳大寺左大臣 現代語訳: ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだ 注釈: 技巧的ではなく、風情を籠めた情景を歌ったもの。 百人一首でホトトギスの出てくる歌はこれ一首のみだそうです。 終りに 百人一首の日、久しぶりに読み直したら、懐かしいですね。 皆さまもいくつか憶えたら、歌の歌留多の形でもお楽しみくださいね!.

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7.安倍仲麿 百人一首

天 の 原 ふり さけ 見れ ば 春日 なる 三笠 の 山 に 出 で し 月 かも

天 野 原 〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜 天野原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 安 ( あ ) 倍 ( べの ) 仲麿 ( なかまろ ) [口訳] 大空を、はるかにながめやると、月が美しく上がっている。 ああ、あの月は、故郷の三笠の山に出た、なつかしい月であろうかなあ。 [鑑賞] [鑑賞] 卒然としてわれわれの心は、海のかなた唐土の海辺に飛ぶ。 そこには故国へ帰ろうとする詩人を送って、送別の宴が張られ、灯がかがやき、酒杯がめぐり、弦歌がわき、潮の香がたゆとうている。 ふと見ると、海のかなたに月が上っている。 おお、そのぬれたような青みをおびた月の光の美しさ。 今まで大陸の月にばかり馴れてきた詩人の目に、渺々たる東海のかなたに出た月は、端的に日の本を思わせ、故郷を思わせ、故郷の山に出た月を思わせる。 少年の日に見た、三笠の山の美しい月よ。 ああ、人生には何故に故郷があり、また異郷があるのか。 何故に人は望郷の心を抱いて悲しまなければならないのか。 ひろい海、ひろい空、飄々と青み澄んだ月、岸を打つ浪の音、幾千年たっても、この歌が口ずさまれる所には、遠い昔の一エトランゼの望郷の心が、生きてうずいて、蘇るであろう。 定家は浪漫詩人の常として、異国情調を愛した。 この、異国の海浜で、はげしい望郷の心がとらえた月の悲しい官能美。 歌人でない仲麿を撰に入れた理由がわかるように思われる。 [作者] 安倍仲麿 701〜770 は 中務 ( なかつかさの ) 大 ( たい ) 輔 ( ふ ) 船守 ( ふなもり )の子。 元正天皇の霊亀2年8月、16才で留学生として唐に派遣され、とどまること35年、名を 朝衡 ( ちょうこう )とあらためて唐朝に仕え、 佐 ( さ ) 補 ( ほ ) 闕 ( けつ )に任ぜられた。 天平勝宝2年、藤原清河が大使として唐に遣わされたとき、共に帰国しようとして、翌3年明州の海辺で送別の宴が開かれ、 王 ( おう ) 維 ( い )・ 包佶 ( ほうきつ ) 等当代一流の詩人も加わり、詩を作って送った。 この「天に原」はその時の詠とされている。 ところが海上で暴風に遭い、船は四散し、仲麿は安南に漂着して、再び唐朝に仕えた。 こうして、在唐50年、宝亀元年その地で死んだ。 年70。 学才非凡、唐の知名文人と並んで少しも恥ずるところがなかった。 和歌はこの一首の外は伝わらない。 仲麿遭難の報が伝わると、大詩人李白は次のような詩を詠んでその死を弔った。。 日本 晁卿 ( ちょうけい ) 辞 ( じ )帝都 片帆 ( へんぱん )百里 繞 ( めぐる ) 蓬 ( ほう ) 壷 ( こ ) 明月不帰沈碧海 白雲秋色満 蒼 ( そう ) 梧 ( ご ) 「 百人一首評解」 著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ.

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