キャンディーズ 年 下 の 男の子。 年下の男の子 - キャンディーズ [ニコニコあっぷる]

名曲草鑑賞 (9) キャンディーズの年下の男の子 (5) : 草仏教ブログ

キャンディーズ 年 下 の 男の子

その真意は定かではないが、その3年後の春、3人は ついにデビューを果たす。 密かに自らのグループ名を思い描いていたが、3人は「キャンディーズ」と命名された。 それから更に1年の月日が過ぎた頃、当時の人気番組であった「8時だよ全員集合!」へのレギュラーが決定。 そして5ヶ月後の 昭和48年9月1日、3人が待ち望んだレコードデビューを果たすがヒットには繋がらなかった。 デビューから5枚目のシングル「年下の男の子」を発売した頃から状況は少しづつ変化の兆しを見せて行く。 「8時だよ〜」での「ハイ! ポーズ」が話題を呼び始めた頃、ランをセンター据えた試みも注目を集め。 セールスは35万枚を突破しチャートも念願のベストテン 入りを果たした。 そして、3人はついにスターへの仲間入り。 ここまで、出会いから4年と6ヶ月の月日が過ぎようとしていた。 ファンクラブの会員数は5倍の5,000人を超え、コンサートでの動員数もうなぎ登りの状況となった。 そして一つの奇跡が3人の 運命を大きく変えることとなった。 それは都内、二十五校の大学生が実行委員会を結成し自主的に開催された蔵前国技館での 「1万人カーニバル」成功である。 同会場にて行われた「前夜祭」では多くの報道陣が訪れた。 次第に見えてくる全貌に3人は 「信じられない・・・」と言う面持ちで本番を迎えた。 キャンディーズとファンが完全に一体となったステージは3時間を越えなおも ヒーートアップして行く・・・ 後に彼女達はこの日の出来事を「素晴らしい財産を贈られた。 」と語っている。 翌年に発売された「春一番」は 「年下〜」を凌ぐ大ヒットとなりラジオでのリクエスでは常に首位を確保していた。 この頃、初の主演ミュージカル「スタンバイOK! 」を 成功させ演技の実力も確実のものにして行いった。 そして「カーニバルVoL2」の開催。 前年を凌ぐ11,300人が動員された。 そして 同会場にてランの口から運命の予兆とも言える言葉が発せられる・・・「私達、将来、ひょっとして、別々の道を進むことになるかも 知れません。 キャンディーズは『三分の一掛ける三』ではなく『一が三つ合わさって三』になりたいのです。 順風満帆のなか3人は一つ一つ 夢を叶えて行く・・・そして運命の7月が訪れる。 しがらみ・・・ 戦い・登り詰めて行く3人と、支える側との間に生じたヒズミは次第に 大きなミゾとなって行った。 『私達を支えたファンを置き去りにはできない!』 ついに3人はそのファンの前で行動に出た。 昭和52年7月17日、日比谷野外音楽堂にて3人は解散を宣言する。 」ファンは勿論、マスコミ・世間までもが疑問に思う出来事だった。 しかしファンの多くが必死で理解をしようとしていた・・・ 『彼女達が望んでいるのだから。 』 前年、結成された全キャン連が音頭を取りファンの思いは一つとなり動き始めて行く・・・ 『ならば3人の門出を盛大に祝福してあげよう・・・』 昭和53年4月4日、3人は後楽園のステージに立った・・・3人の出会いから6年以上 の月日が過ぎようとしてた。 多くの不可能を可能にし、常にファンを愛してくれた3人。 ファンもまた、支えたつもりが支えられていたと 言う心の葛藤・・ キャンディーズとして、実働1676日。 NHKならではの静寂感を漂わせる舞台とキヤン・MMPに よる洗練されたステージのコントラストが感じ取れる一瞬を 見事に捉えた連続ショット。 3人が小さかったと再確認で きるのも、この角度から全景を捉えているから。 これらの画像は「季節のスケッチさん」の好意により氏が 入手された当時の写真を元に加工を加え掲載させて頂い ております。 UP映像がご覧頂けます。 それは その他のことについては知っていると言う自負があるからかも知れない。 しかし、ここ数年、後追いキャンディーズファンが勢力的に WEB内で活躍してくれている。 忘れてはならないのが『後追い』と言う言葉を使い始めたのみきずきんさんだろう。 彼の熱意は オールドファンの交流を築いたし、次世代への可能性と期待を持たせてくれるのに大きく貢献してくれた。 次にくるのは我らがありまんさんが運営するだろう。 当初はコツコツと作り上げていたキュートなサイトだった が、パトリオット氏(HN)の熱心な書き込みと季節のスケッチ氏(HN)の貴重な画像投稿でが一気に活気付いた。 そして今や 私達にとって貴重な社交場となっている。 次に期待できるのはKK氏(HN)が運営するだろう。 まだ現役の高校生が 運営するサイトだが、思えばあの頃の私達とも近い世代なだけに視点がピュアーで丁寧な文章が私は大好きである。 他にも、公に対し行動を取らなくとも何らかのきっかけでキャンディーズファンになった新しい世代の方々は多いと思います。 私も氷河期から解凍され今日に至るわけですから、それほどキャンディーズの魅力の奥深さに感心させられます。 今となれば僅か1676日、4年と数ヶ月の活躍で伝説を築いた[キャンディーズ]の存在は次世代へ誇りを持って伝える記憶だと 確信しています。 私はそんな「後追いファン」の皆さんを心から応援いたします。 彼女達が残したのは美しい音楽とともに心優しい 大勢のファンだったと改めて関心させられます。 PS>キャンディーズ・サイト、プログ、コメントなど如何なる情報サイトでも当方はキャンディーズに関する情報サイトは勢力的に リンクさせて頂きます。 お気軽ににてご連絡下さい。 デビュー当時の舞台がドリフの 「8時だよ!全員集合」 と 言うこともあって、お笑いに対し妥協のない指導がドリフターズの面々 そしてリーダーいかりや長介氏(享年72)により学ばされたことは 推測できる。 その甲斐もあって3人は次第に「お茶の間のアイドル」とし ての地位を確立して行く。 それ以前に活躍した4人組グループ 「ゴール デンハーフ」 (74解散)が成しえなかった幅広い層への人気定着そして 新たなスタートへの出発点となった。 その後も多くの実力派と息のあったコントを見せ、共演者からの信頼も 厚く、76年にはついに 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」 でバライティー 番組(ゴールデンタイム)の主役へと抜擢された。 ファンにとっても96年 6月にスタートしたラジオ番組 「GO! キャンディーズ」 (文化放送)での ハチャメチャな彼女達に強い親近感を抱いたのは言うまでもなく、その 魅力は益々加速していった。 「キャンディーズ笑劇場」では 季節のスケッチ氏 HN が所有する78年 「ワイドショーNOW」 の写真映像に手を加え、当時の彼女達そして ファンによる投稿ギャグをイメージし、少々キツイ2コマまんがを製作しま した。 「我らのキャンになんてことを!」とお叱りを頂きそうですが彼女達 ならきっと笑って「まだまだ・・」と言うでしょう。 (推測です) それほど彼女達は[笑いを愛し・・]何よりファンを愛してくれていました。 (一応・・キレイに収まったな。 これで勘弁してちょうだい!By. 雑誌などの 取材も付き、プライベートとは言い切れませんが日々の激務からリフレッシュするには充分な時間でした。 旅も終盤に差し掛かった1月17日、症状はまずミキの身の上に起こります。 激しい腹痛にみまわれトイレに行ったり来たり・・・ 続いてスーにも・・・眠っていたと思われたランにも症状が現れついには1個のトイレを奪いあいながら朝を迎えたとか? 原因はパリのディナーで食べた生ガキと判明。 帰国後の14日に予定された「ヤングタウンTOKYO」も体調不良でキャンセルされた が関連は定かではない。 これらの実話も解散を3ヵ月後に控えたキャンディーズに掛かれば笑いのネタとなってしまうのですから つくづく彼女達のサービス精神に感服いたします。 全編にデジタル処理が施され、スーちゃんのニキビ まで鮮明に見えてしまう美しい映像は感動ものです。 過去に(当時)一度は公開された映像とは言え、 これだけの美しさとCMも入らないノンストップの 映像は見るものをあの頃にタイムスリップさせること 間違いなし! 「プレミアム」、「みごろ〜特典」と続き、小出しされてきた3人の映像が、ここにきて本格的に陽の目を浴びる ことはファンにとっても大歓迎!SONYを始め関係者の今後の展開を大いに期待できる素晴らしい作品に仕上がっています。 [Disc1] 1977. 28「みごろ!たべごろ!笑いごろ!! 」公開録画として東京都千代田区 砂防会館にて収録されたライブ映像。 当時の同会館は収容人員800人と、後方の座席でも充分に堪能できた魅力的な会場。 解散宣言から2ヶ月後程度の映像だが悲壮感を感じさせず、シングルそしてアルバム曲を散りばめながら、3人の個性を 全面にだした構成。 番組中のドラマ「美しき伝説」の主題歌、「卒業」を収録。 [Disc2]1977. 20 千葉、最後の公演として千葉県文化会館でのライブを収録。 テレビでは特番として、放送されている。 本作には当時のTV放送では公開されなかった曲が含まれている。 ただし、残念だが当時は公開されていた洋楽カバーの 殆どがカットとされている。 (当時と比べ、多くの楽曲の著作権が親族により売買され、アーティスト個人の所有では無く、プロ ダクション等に管理されているため問題が蓄積していると推測する) 期待したミキのソロ「愛のフィナーレ」は3人のコーラスと して公開されていた。 全てのバックをMMPが担当。 絨毯の様に埋め尽くされる紙テープなど、ライブの魅力を充分に堪能 できる作品。 舞台裏からアンコールに突入するシーンもカッコイイ! [Disc3] 1978. 9 芝郵便貯金ホールにて水曜特番「キャンディーズ・オン・ステージ」として公開録画される。 テレビ特番公開時のナレーシヨンやテープ加工編集が なく好感が持てる。 (あれって時代を感じますよね。 ) ちなみにチャプターファイルには掲載されていないが特番同様、「スティルウィリー」もしっかりと収録されている。 [Disc4]「CANDIES HIT PARADE」テレビでのシングル放送を主体とあるが、特に前半は予測以上。 どれだけ貴重なの かも推定できないほど、私にとっては初見の映像がずらり・・・! 何れもデジタル処理での美しい画像に仕上がっている。 後半からは「クイズ・ドレミファドン」や「みごろ!たべごろ!〜」など、見慣れた画像ですがやっぱり美しいので許しちゃいます。 ただ、これだけのタイトルを付けたのですから「微笑みがえし」までは入れて欲しかったですね。 カメラアングルやライティングも当時としては優れたライブ だと思われます。 一本の電話が私の職場に掛かってきた・・・ 電話の主は光文社の編集者だと名乗ると、「今、35歳を対象にした雑誌を作っています。 」 「今回のテーマは 1977年。 」 「この熱く興味深い年には現在の社会には見られない若者達のパワーを感じるのです。 」 熱く語る彼の言葉は決して饒舌とは言えないが言いたいことは充分に伝わった・・・ 「そこで、全キャン連に在籍してて、ファイナル経験者の方にコメントを頂きたいのです。 」 70年代を思い起こせば私も語りたいことが沢山あった。 しかし、今回の条件には当てはまらない・・・ なぜなら、全キャン連は勿論、ファイナル経験すら私にはないのだから。 「判りました。 協力させて頂きます。 」 「ただし私にはその資格がないので、適任者を紹介させて頂きます。 」 すでに穂口氏、酒井氏(松崎氏は辞退)らのコメントは取れてあり、編集も大詰めであったことを知り、、私は 4日間だけの猶予をもらった。 電話を切ると私は迷わず彼にメールを送った。 一日が過ぎた。 彼、 【パトリオット氏】 からは何の連絡もない。 編集者との約束は裏切られない。 2日目の夜、私はもう一人の頼もしい友人 【季節のスケッチ氏】 に最後の 運命を託した。 しかし、次の日も二人からの連絡はなかった。 自ら期限を切った日、私は仕事で東京の地にいた。 [東京]その響きが今回の出来事をやたら近くに感じ させていた。 しかし、近いと思うと、遠ざかるのもあっ気ないモノのようにも、思え始めていた。 そんな矢先、 スケッチさん から連絡が入った。 どうやら出張が重なり、今やっとメールを確認できたそうだ。 彼はすぐさま動いてくれた。 編集者と確認を取り、そのやり取りさえも克明に伝えてくれた。 記事をご覧に なった方なら、ご理解頂けるだろうがキャンディーズへの強い思いを語るには至らなかったようだ。 やはり電話での取材には時間にも制限があり、難しいものだろう。 「ファンサイトのコメントを見てくれ。 」 「【めもキャン】のファンによるライナー集を見てくれ。 」 とも、彼は付け加えてくれていた。 編集者から電話が入った。 「良い話が聞けました。 」 「ご協力ありがとうございました。 」 あっ気ない巻く引きだった。 「どの程度の仕上りになるのか?」 自らの目で確認するまではこの一件は伏せて 置こうと自らに誓った。 しかし、気になる。 最初に託した彼からはいまだ連絡がなかったのだ。 最初のメッセージからすでに5日が過ぎていた。 しかし、そのコメントは力強く、覚悟を決めているようだった。 笑うと怒られそうだがこの数日間、彼は私以上にマジに自分に問いかけていたのだろうか。 「あの頃はダチに誘われ、ハンパな気持でキャンとであったのです。 」 「そんなオレで良かったらよろこんで 協力させてもらいます。 あの時の彼女達が 何を感じ、何を得たかを紐解くには至らなかった。 しかし、この雑誌のターゲットである35歳前後の若者達が、この出来事をどう感じただろうか。 いずれにしろ、キャンディーズは歴史を超えてレジェトとして語られようとしている。 そこにはナツメロやレトロと 言う空気は似合わない。 PS.編集者からはとうとう今日まで本誌が送られて来ることはなかった。 その瞬間はNHK BSの人気番組 「日めくりタイムトラベル・昭和53年!」 の放送中、突然やって来た。 昭和53年当時を懐かしく見ていた視聴者にとっては衝撃であったことが推測できる。 なぜなら当時、キャンディーズファンでなかった者ですら一度は耳にした 「全キャン連」 が一日限りとは 言え復活し、その勇姿を示していたのだから。 解散してすでに30年近い月日を数えたアイドルのために、たとえ番組の企画とは言え、大の大人が 集るだろうか?そこにこそキャンディーズの魅力があり、今尚、熱いファンの絆が伺える。 そして私達、ファンの代表としてまた新たな1ページを築いてくれた 「復活・全キャン連」 の皆様に 感謝を申したい。 瞬く間にサイト運営者を通じ、復活・全キャン連が招集された。 仕事の都合などで参加できない 者もあり、我らが友人 (悲しきためいき氏)(POLY氏)(季節のスケッチ氏) 他の4名が選出された。 PM1:00スタジオ集合・・・・ 控え室には「全キャン連様」の名札 (感激っス!) PM2:00リハーサル・・・・・ 立ち位置などのチェック 「司会者からの質問内容は今は言えません。 」 「なぜなら、先に聞くと逆に緊張するからです。 司会を務めるのはNHKアナウンサー松本和也氏。 昭和53年当時の話題として1月当時、箱根 駅伝で活躍する瀬古選手の勇姿が映し出される・・・そして2月、映画「未知との遭遇」を期に爆発的 ヒットとなったテーブルゲーム「スペースインベーダー」を紹介。 更に政治や事件などが紹介され、 そして4月、「小ネタコレクター」としてキャンディーズ・ファイナルカーニバルが登場する。 簡単な前説で「全キャン連」の登場。 当時、ファンによって製作された「応援パンフレット」が紹介されると そこから問題が出題される。 (Q「紙テープは必ず・・・」一体どうするのでしょうか?) 答えは当然「芯を抜く」でした。 さらに キャン吉さん のメールが読まれると一同賛同。 涙涙のキャンナイトでした。 本当にお疲れ様でした。 番組制作者やスタッフ・関係者、出演者の皆様による ご指摘等ございましたら直ちに内容の削除・訂正を行います。 ファン同士によるオフ会の一コマです。 これがファンとしての繋がりです。 もちろん年齢も関係ありません。 皆が集り、彼女達の話題や映像・音楽で盛り上がる・・・ 時には酒を酌み交わし。 (未成年はダメヨ) カラオケで憂さ晴らし・・・ 限られた時間の中で心も体もリフレッシュすることが重要なのです。 私の場合、キャンの魅力を再認識した時、友人はもちろん職場関係にもキャンの話題を持ちかけました。 しかし反応は浅く、盛り上がるまでには至りませんでした。 そして、勇気を出してオフ会への参加を決意しました。 『なるようになるさっ!』 不安を胸に参加したオフ会は皆さんの温かいフォローに迎えられ、とても心地よい一時となりました。 それからの私にとってキャン=オフ会は【もう一つの素敵な時間】として、位置付けられました。 いつも感謝しております。

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年下の男の子 (キャンディーズの曲)

キャンディーズ 年 下 の 男の子

By - 公開: 2019-04-04 更新: 2020-01-12 【大人のMusic Calendar】 渡辺プロダクションが擁していたスクール・メイツから、伊藤蘭(ラン)・藤村美樹(ミキ)・田中好子(スー)の3人がNHKの新番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールに抜擢されたのは1972年4月のこと。 そして75年リリースの「年下の男の子」から次々とヒットを連ね、トップアイドルとして大活躍を遂げる。 しかし77年7月17日、日比谷野外音楽堂で開催されていたコンサートの終わり間際に突然の解散発表。 ごく一部のスタッフにしか知らされていなかったそうで、ファンのみならず世間をも大いに揺るがすこととなった。 この時の記者会見で放たれた「普通の女の子に戻りたい」という台詞は流行語となる。 当初は9月いっぱいで解散する意思を固めていたが、その後の事務所との話し合いで結局翌年の春まで、半年間先送りされることになる。 全国縦断ファイナルコンサート「ありがとうカーニバル」が催された後、最後のステージは78年4月4日の後楽園球場となった。 約4時間に亘るファイナルカーニバルはもはや伝説である。 ファンたちの絶叫が早春の寒空に響き渡ったあの日から早41年になる。 日中平和友好条約が調印され、新東京国際空港(現:成田国際空港)が開港した78年。 キャンディーズの解散は一般のニュースでも大きくとり上げられる社会現象として、昭和史の1ページに刻まれることになる。 いよいよ迎えた4月4日、東京・後楽園球場周辺は朝から異様な熱気に包まれていた。 前日からの設営スタッフに加え、3人の最後になるであろう姿を見届けに全国から集まったファンが早い時間から開演を待ちわびており、球場の外には、チケットを入手出来なかった人々も数多く訪れた。 当日の東京は、4月とはいえまだ肌寒さの残る日で日没と共に気温も下がっていったが、熱気に包まれた後楽園の観客たちは寒さなど微塵も感じなかったに違いない。 一瞬も見逃すまいとステージを見守った。 開演予定の17時から17分遅れで始まったコンサートの幕明けは、クール・アンド・ザ・ギャングの「OPEN SESAME」で幕を開ける。 演奏&歌唱はMMP+HORN SPECTRUM(後のスペクトラム)。 やがて松明を手に金色に輝く衣装を纏って登場するキャンディーズが登場してアース・ウインド・アンド・ファイアーの「JUPITER」(邦題:「銀河の覇者」)をはじめ、洋楽のカヴァーを披露する。 マネージメントを手がけていた大里洋吉氏の強い意向で、伊丹幸雄やあいざき進也のバックバンドを経て活動を続けていたMMP(=ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)と組んで、洋楽カヴァーで幕を開けるのがキャンディーズのコンサートの通例だったのである。 黒いキャミソールに着替えて「朝日のあたる家」「ある愛の詩」などお馴染みのスタンダードを歌った後にまた衣装替え。 ラメのレオタードの上に透明なマント状のものを羽織って、「宇宙のファンタジー」や、「エピタフ」が導入された「GOING IN CIRCLES」を歌い終えて洋楽コーナーを終える。 すっかり夜の帳が下りた中で、ランが赤、ミキが黄、スーが青のマイカラーを基調とした衣装に着替えて登場して歌われたのは、アルバム『春一番』から「恋のあやつり人形」。 三色のショールを取り、カラフルな羽根があしらわれた衣装で歌う「内気なあいつ」がこの日初めてのシングル・ナンバーとなった。 続いて「ハート泥棒」が披露された後にはじめてのMCが入る。 「伊藤蘭、ランと呼んで下さい!」「田中好子、スーって呼んで下さい!」「藤村美樹、ミキって呼んで下さい!」「そして、3人揃ってキャンディーズです!!! 」の挨拶から自己紹介ソング「キャンディーズ」へ。 アルバム曲が数曲歌われた後、一転して吉田拓郎が供した「銀河系まで飛んでいけ!」、「黄色いビキニ」とアルバム曲が続いた後、スーのMCを挟んで、デビュー曲「あなたに夢中」が歌われる。 続いて「そよ風のくちづけ」「なみだの季節」と初期ナンバーの連続に早くもファンたちは目頭を熱くした。 ファイナルカーニバルから2週間前にリリースされたばかりのアルバム『早春譜』のコーナーでは、3人が自ら作詞や作曲したナンバーを紹介。 まずはミキが「買い物ブギ」「エプロン姉さん(マキちゃんに捧げる唄)」を披露。 続いて黒いドレス姿のランが登場して「アンティックドール」「MOONLIGHT」を。 ラストはスーがレザーパンツのセクシーな衣装で「午前零時の湘南道路」「私の彼を紹介します」を歌う。 再び登場したミキがベールを纏ったウエディングドレス風の衣装で「おとうさんあなたへ」を歌っていると、同じドレス姿のランが舞台下からせり上がって加わり、さらにスーも加わって3人が「おとうさん、おかあさん」と台詞を連ねて、最後にミキのメッセージで締める感動的な演出で喝采を浴びた。 一度暗転した後に現れた3人は、同じドレスのスカート部分を短くし、ベールとティアラを取った姿で、これこそ後にファイナルカーニバルを回顧する際の写真に最もよく使われることになる印象的な衣装で、ステージの最後の瞬間まで身に付けられることに。 いよいよの最終コーナーはお馴染みのシングル曲が次々と連なり観客席からの声援も最高潮に達する。 吉田拓郎が供した「アン・ドゥ・トロワ」に続いて、シングルではミキが初めてセンターを務めた「わな」。 続いて「哀愁のシンフォニー」のイントロが流れて会場がどよめく。 この日は中でも最大規模で、一斉に放たれた夥しい数の紙テープが都会の夜に大輪の花を咲かせた。 ステージからそれを眺めた3人の眼にはどんな美しい光景が写っただろうか。 続いての人気曲「悲しきためいき」の後、MMPへの謝辞が述べられる。 いつもは3人の衣装替えの間に演奏されていた応援歌「SUPER CANDIES」がキャンディーズの前で披露され、渾身の演奏に客席が一体化する中、怒涛のシングル・メドレーが再開。 「ハートのエースが出てこない」「その気にさせないで」「危い土曜日」の後、「皆さんが1位にして下さった曲『微笑がえし』、心をこめて歌います。 聴いて下さい!」という渾身のメッセージに客席から割れんばかりの拍手が巻き起こり、事実上のラスト・シングルとなった「微笑がえし」が歌われた。 深々と頭を下げる3人。 「次は皆さんの歌声が聴きたいんです。 一緒に歌ってくれますか?」と呼びかけ、ブレイクのきっかけとなった5枚目のシングル「年下の男の子」が歌われる。 そして「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」でシングル曲コーナーは終了。 客席を煽りまくるコンサート名物の「DANCING JUNPING LOVE」が約10分に亘って繰り広げられた後、アルバム『早春譜』のラストを飾ったミキ作詞・作曲の「あこがれ」が静かに歌われる。 客席からの熱いキャンディーズ・コールに送られ、ランがラストMCの口火を切った。 続いてミキ、スーとそれぞれの口から送られるラスト・メッセージでスタジアム全体が涙に包まれる。 そしてラストナンバー「つばさ」。 間奏でランが語り、3人が声を合わせて「本当に私たちは幸せでした」の名台詞が発せられた。 嗚咽しながら肩を抱き合い、ステージから姿を消してゆく3人を、観客も泣きながら見送った。 4時間に及んだステージが終った後もしばらくの間、キャンディーズへのコールは鳴りやむことなく、肌寒い後楽園の夜空にいつまでもいつまでも響き渡っていた。 女性アイドルグループとしては初めてのスタジアム・コンサートだったという『キャンディーズ ファイナルカーニバル FOR FREEDOM』はその瞬間から伝説のライヴと化した。 その後も決して再結成されることのなかった3人のラストステージには、実に5万5千人もの観客が訪れたのであった。 キャンディーズ「あなたに夢中」「哀愁のシンフォニー」「わな」「微笑がえし」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト ソニーミュージックOTONANO『キャンディーズ メモリーズ FOR FREEDOM』スペシャルページはこちら> ファイナルカーニバルのポスター撮影協力:鈴木啓之 【著者】鈴木啓之 すずき・ひろゆき :アーカイヴァー。 主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。 著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。

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キャンディーズ「年下の男の子」の振り付けを覚えたいのですが、DVD...

キャンディーズ 年 下 の 男の子

その真意は定かではないが、その3年後の春、3人は ついにデビューを果たす。 密かに自らのグループ名を思い描いていたが、3人は「キャンディーズ」と命名された。 それから更に1年の月日が過ぎた頃、当時の人気番組であった「8時だよ全員集合!」へのレギュラーが決定。 そして5ヶ月後の 昭和48年9月1日、3人が待ち望んだレコードデビューを果たすがヒットには繋がらなかった。 デビューから5枚目のシングル「年下の男の子」を発売した頃から状況は少しづつ変化の兆しを見せて行く。 「8時だよ〜」での「ハイ! ポーズ」が話題を呼び始めた頃、ランをセンター据えた試みも注目を集め。 セールスは35万枚を突破しチャートも念願のベストテン 入りを果たした。 そして、3人はついにスターへの仲間入り。 ここまで、出会いから4年と6ヶ月の月日が過ぎようとしていた。 ファンクラブの会員数は5倍の5,000人を超え、コンサートでの動員数もうなぎ登りの状況となった。 そして一つの奇跡が3人の 運命を大きく変えることとなった。 それは都内、二十五校の大学生が実行委員会を結成し自主的に開催された蔵前国技館での 「1万人カーニバル」成功である。 同会場にて行われた「前夜祭」では多くの報道陣が訪れた。 次第に見えてくる全貌に3人は 「信じられない・・・」と言う面持ちで本番を迎えた。 キャンディーズとファンが完全に一体となったステージは3時間を越えなおも ヒーートアップして行く・・・ 後に彼女達はこの日の出来事を「素晴らしい財産を贈られた。 」と語っている。 翌年に発売された「春一番」は 「年下〜」を凌ぐ大ヒットとなりラジオでのリクエスでは常に首位を確保していた。 この頃、初の主演ミュージカル「スタンバイOK! 」を 成功させ演技の実力も確実のものにして行いった。 そして「カーニバルVoL2」の開催。 前年を凌ぐ11,300人が動員された。 そして 同会場にてランの口から運命の予兆とも言える言葉が発せられる・・・「私達、将来、ひょっとして、別々の道を進むことになるかも 知れません。 キャンディーズは『三分の一掛ける三』ではなく『一が三つ合わさって三』になりたいのです。 順風満帆のなか3人は一つ一つ 夢を叶えて行く・・・そして運命の7月が訪れる。 しがらみ・・・ 戦い・登り詰めて行く3人と、支える側との間に生じたヒズミは次第に 大きなミゾとなって行った。 『私達を支えたファンを置き去りにはできない!』 ついに3人はそのファンの前で行動に出た。 昭和52年7月17日、日比谷野外音楽堂にて3人は解散を宣言する。 」ファンは勿論、マスコミ・世間までもが疑問に思う出来事だった。 しかしファンの多くが必死で理解をしようとしていた・・・ 『彼女達が望んでいるのだから。 』 前年、結成された全キャン連が音頭を取りファンの思いは一つとなり動き始めて行く・・・ 『ならば3人の門出を盛大に祝福してあげよう・・・』 昭和53年4月4日、3人は後楽園のステージに立った・・・3人の出会いから6年以上 の月日が過ぎようとしてた。 多くの不可能を可能にし、常にファンを愛してくれた3人。 ファンもまた、支えたつもりが支えられていたと 言う心の葛藤・・ キャンディーズとして、実働1676日。 NHKならではの静寂感を漂わせる舞台とキヤン・MMPに よる洗練されたステージのコントラストが感じ取れる一瞬を 見事に捉えた連続ショット。 3人が小さかったと再確認で きるのも、この角度から全景を捉えているから。 これらの画像は「季節のスケッチさん」の好意により氏が 入手された当時の写真を元に加工を加え掲載させて頂い ております。 UP映像がご覧頂けます。 それは その他のことについては知っていると言う自負があるからかも知れない。 しかし、ここ数年、後追いキャンディーズファンが勢力的に WEB内で活躍してくれている。 忘れてはならないのが『後追い』と言う言葉を使い始めたのみきずきんさんだろう。 彼の熱意は オールドファンの交流を築いたし、次世代への可能性と期待を持たせてくれるのに大きく貢献してくれた。 次にくるのは我らがありまんさんが運営するだろう。 当初はコツコツと作り上げていたキュートなサイトだった が、パトリオット氏(HN)の熱心な書き込みと季節のスケッチ氏(HN)の貴重な画像投稿でが一気に活気付いた。 そして今や 私達にとって貴重な社交場となっている。 次に期待できるのはKK氏(HN)が運営するだろう。 まだ現役の高校生が 運営するサイトだが、思えばあの頃の私達とも近い世代なだけに視点がピュアーで丁寧な文章が私は大好きである。 他にも、公に対し行動を取らなくとも何らかのきっかけでキャンディーズファンになった新しい世代の方々は多いと思います。 私も氷河期から解凍され今日に至るわけですから、それほどキャンディーズの魅力の奥深さに感心させられます。 今となれば僅か1676日、4年と数ヶ月の活躍で伝説を築いた[キャンディーズ]の存在は次世代へ誇りを持って伝える記憶だと 確信しています。 私はそんな「後追いファン」の皆さんを心から応援いたします。 彼女達が残したのは美しい音楽とともに心優しい 大勢のファンだったと改めて関心させられます。 PS>キャンディーズ・サイト、プログ、コメントなど如何なる情報サイトでも当方はキャンディーズに関する情報サイトは勢力的に リンクさせて頂きます。 お気軽ににてご連絡下さい。 デビュー当時の舞台がドリフの 「8時だよ!全員集合」 と 言うこともあって、お笑いに対し妥協のない指導がドリフターズの面々 そしてリーダーいかりや長介氏(享年72)により学ばされたことは 推測できる。 その甲斐もあって3人は次第に「お茶の間のアイドル」とし ての地位を確立して行く。 それ以前に活躍した4人組グループ 「ゴール デンハーフ」 (74解散)が成しえなかった幅広い層への人気定着そして 新たなスタートへの出発点となった。 その後も多くの実力派と息のあったコントを見せ、共演者からの信頼も 厚く、76年にはついに 「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」 でバライティー 番組(ゴールデンタイム)の主役へと抜擢された。 ファンにとっても96年 6月にスタートしたラジオ番組 「GO! キャンディーズ」 (文化放送)での ハチャメチャな彼女達に強い親近感を抱いたのは言うまでもなく、その 魅力は益々加速していった。 「キャンディーズ笑劇場」では 季節のスケッチ氏 HN が所有する78年 「ワイドショーNOW」 の写真映像に手を加え、当時の彼女達そして ファンによる投稿ギャグをイメージし、少々キツイ2コマまんがを製作しま した。 「我らのキャンになんてことを!」とお叱りを頂きそうですが彼女達 ならきっと笑って「まだまだ・・」と言うでしょう。 (推測です) それほど彼女達は[笑いを愛し・・]何よりファンを愛してくれていました。 (一応・・キレイに収まったな。 これで勘弁してちょうだい!By. 雑誌などの 取材も付き、プライベートとは言い切れませんが日々の激務からリフレッシュするには充分な時間でした。 旅も終盤に差し掛かった1月17日、症状はまずミキの身の上に起こります。 激しい腹痛にみまわれトイレに行ったり来たり・・・ 続いてスーにも・・・眠っていたと思われたランにも症状が現れついには1個のトイレを奪いあいながら朝を迎えたとか? 原因はパリのディナーで食べた生ガキと判明。 帰国後の14日に予定された「ヤングタウンTOKYO」も体調不良でキャンセルされた が関連は定かではない。 これらの実話も解散を3ヵ月後に控えたキャンディーズに掛かれば笑いのネタとなってしまうのですから つくづく彼女達のサービス精神に感服いたします。 全編にデジタル処理が施され、スーちゃんのニキビ まで鮮明に見えてしまう美しい映像は感動ものです。 過去に(当時)一度は公開された映像とは言え、 これだけの美しさとCMも入らないノンストップの 映像は見るものをあの頃にタイムスリップさせること 間違いなし! 「プレミアム」、「みごろ〜特典」と続き、小出しされてきた3人の映像が、ここにきて本格的に陽の目を浴びる ことはファンにとっても大歓迎!SONYを始め関係者の今後の展開を大いに期待できる素晴らしい作品に仕上がっています。 [Disc1] 1977. 28「みごろ!たべごろ!笑いごろ!! 」公開録画として東京都千代田区 砂防会館にて収録されたライブ映像。 当時の同会館は収容人員800人と、後方の座席でも充分に堪能できた魅力的な会場。 解散宣言から2ヶ月後程度の映像だが悲壮感を感じさせず、シングルそしてアルバム曲を散りばめながら、3人の個性を 全面にだした構成。 番組中のドラマ「美しき伝説」の主題歌、「卒業」を収録。 [Disc2]1977. 20 千葉、最後の公演として千葉県文化会館でのライブを収録。 テレビでは特番として、放送されている。 本作には当時のTV放送では公開されなかった曲が含まれている。 ただし、残念だが当時は公開されていた洋楽カバーの 殆どがカットとされている。 (当時と比べ、多くの楽曲の著作権が親族により売買され、アーティスト個人の所有では無く、プロ ダクション等に管理されているため問題が蓄積していると推測する) 期待したミキのソロ「愛のフィナーレ」は3人のコーラスと して公開されていた。 全てのバックをMMPが担当。 絨毯の様に埋め尽くされる紙テープなど、ライブの魅力を充分に堪能 できる作品。 舞台裏からアンコールに突入するシーンもカッコイイ! [Disc3] 1978. 9 芝郵便貯金ホールにて水曜特番「キャンディーズ・オン・ステージ」として公開録画される。 テレビ特番公開時のナレーシヨンやテープ加工編集が なく好感が持てる。 (あれって時代を感じますよね。 ) ちなみにチャプターファイルには掲載されていないが特番同様、「スティルウィリー」もしっかりと収録されている。 [Disc4]「CANDIES HIT PARADE」テレビでのシングル放送を主体とあるが、特に前半は予測以上。 どれだけ貴重なの かも推定できないほど、私にとっては初見の映像がずらり・・・! 何れもデジタル処理での美しい画像に仕上がっている。 後半からは「クイズ・ドレミファドン」や「みごろ!たべごろ!〜」など、見慣れた画像ですがやっぱり美しいので許しちゃいます。 ただ、これだけのタイトルを付けたのですから「微笑みがえし」までは入れて欲しかったですね。 カメラアングルやライティングも当時としては優れたライブ だと思われます。 一本の電話が私の職場に掛かってきた・・・ 電話の主は光文社の編集者だと名乗ると、「今、35歳を対象にした雑誌を作っています。 」 「今回のテーマは 1977年。 」 「この熱く興味深い年には現在の社会には見られない若者達のパワーを感じるのです。 」 熱く語る彼の言葉は決して饒舌とは言えないが言いたいことは充分に伝わった・・・ 「そこで、全キャン連に在籍してて、ファイナル経験者の方にコメントを頂きたいのです。 」 70年代を思い起こせば私も語りたいことが沢山あった。 しかし、今回の条件には当てはまらない・・・ なぜなら、全キャン連は勿論、ファイナル経験すら私にはないのだから。 「判りました。 協力させて頂きます。 」 「ただし私にはその資格がないので、適任者を紹介させて頂きます。 」 すでに穂口氏、酒井氏(松崎氏は辞退)らのコメントは取れてあり、編集も大詰めであったことを知り、、私は 4日間だけの猶予をもらった。 電話を切ると私は迷わず彼にメールを送った。 一日が過ぎた。 彼、 【パトリオット氏】 からは何の連絡もない。 編集者との約束は裏切られない。 2日目の夜、私はもう一人の頼もしい友人 【季節のスケッチ氏】 に最後の 運命を託した。 しかし、次の日も二人からの連絡はなかった。 自ら期限を切った日、私は仕事で東京の地にいた。 [東京]その響きが今回の出来事をやたら近くに感じ させていた。 しかし、近いと思うと、遠ざかるのもあっ気ないモノのようにも、思え始めていた。 そんな矢先、 スケッチさん から連絡が入った。 どうやら出張が重なり、今やっとメールを確認できたそうだ。 彼はすぐさま動いてくれた。 編集者と確認を取り、そのやり取りさえも克明に伝えてくれた。 記事をご覧に なった方なら、ご理解頂けるだろうがキャンディーズへの強い思いを語るには至らなかったようだ。 やはり電話での取材には時間にも制限があり、難しいものだろう。 「ファンサイトのコメントを見てくれ。 」 「【めもキャン】のファンによるライナー集を見てくれ。 」 とも、彼は付け加えてくれていた。 編集者から電話が入った。 「良い話が聞けました。 」 「ご協力ありがとうございました。 」 あっ気ない巻く引きだった。 「どの程度の仕上りになるのか?」 自らの目で確認するまではこの一件は伏せて 置こうと自らに誓った。 しかし、気になる。 最初に託した彼からはいまだ連絡がなかったのだ。 最初のメッセージからすでに5日が過ぎていた。 しかし、そのコメントは力強く、覚悟を決めているようだった。 笑うと怒られそうだがこの数日間、彼は私以上にマジに自分に問いかけていたのだろうか。 「あの頃はダチに誘われ、ハンパな気持でキャンとであったのです。 」 「そんなオレで良かったらよろこんで 協力させてもらいます。 あの時の彼女達が 何を感じ、何を得たかを紐解くには至らなかった。 しかし、この雑誌のターゲットである35歳前後の若者達が、この出来事をどう感じただろうか。 いずれにしろ、キャンディーズは歴史を超えてレジェトとして語られようとしている。 そこにはナツメロやレトロと 言う空気は似合わない。 PS.編集者からはとうとう今日まで本誌が送られて来ることはなかった。 その瞬間はNHK BSの人気番組 「日めくりタイムトラベル・昭和53年!」 の放送中、突然やって来た。 昭和53年当時を懐かしく見ていた視聴者にとっては衝撃であったことが推測できる。 なぜなら当時、キャンディーズファンでなかった者ですら一度は耳にした 「全キャン連」 が一日限りとは 言え復活し、その勇姿を示していたのだから。 解散してすでに30年近い月日を数えたアイドルのために、たとえ番組の企画とは言え、大の大人が 集るだろうか?そこにこそキャンディーズの魅力があり、今尚、熱いファンの絆が伺える。 そして私達、ファンの代表としてまた新たな1ページを築いてくれた 「復活・全キャン連」 の皆様に 感謝を申したい。 瞬く間にサイト運営者を通じ、復活・全キャン連が招集された。 仕事の都合などで参加できない 者もあり、我らが友人 (悲しきためいき氏)(POLY氏)(季節のスケッチ氏) 他の4名が選出された。 PM1:00スタジオ集合・・・・ 控え室には「全キャン連様」の名札 (感激っス!) PM2:00リハーサル・・・・・ 立ち位置などのチェック 「司会者からの質問内容は今は言えません。 」 「なぜなら、先に聞くと逆に緊張するからです。 司会を務めるのはNHKアナウンサー松本和也氏。 昭和53年当時の話題として1月当時、箱根 駅伝で活躍する瀬古選手の勇姿が映し出される・・・そして2月、映画「未知との遭遇」を期に爆発的 ヒットとなったテーブルゲーム「スペースインベーダー」を紹介。 更に政治や事件などが紹介され、 そして4月、「小ネタコレクター」としてキャンディーズ・ファイナルカーニバルが登場する。 簡単な前説で「全キャン連」の登場。 当時、ファンによって製作された「応援パンフレット」が紹介されると そこから問題が出題される。 (Q「紙テープは必ず・・・」一体どうするのでしょうか?) 答えは当然「芯を抜く」でした。 さらに キャン吉さん のメールが読まれると一同賛同。 涙涙のキャンナイトでした。 本当にお疲れ様でした。 番組制作者やスタッフ・関係者、出演者の皆様による ご指摘等ございましたら直ちに内容の削除・訂正を行います。 ファン同士によるオフ会の一コマです。 これがファンとしての繋がりです。 もちろん年齢も関係ありません。 皆が集り、彼女達の話題や映像・音楽で盛り上がる・・・ 時には酒を酌み交わし。 (未成年はダメヨ) カラオケで憂さ晴らし・・・ 限られた時間の中で心も体もリフレッシュすることが重要なのです。 私の場合、キャンの魅力を再認識した時、友人はもちろん職場関係にもキャンの話題を持ちかけました。 しかし反応は浅く、盛り上がるまでには至りませんでした。 そして、勇気を出してオフ会への参加を決意しました。 『なるようになるさっ!』 不安を胸に参加したオフ会は皆さんの温かいフォローに迎えられ、とても心地よい一時となりました。 それからの私にとってキャン=オフ会は【もう一つの素敵な時間】として、位置付けられました。 いつも感謝しております。

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