港 の ヨーコ ヨコハマ ヨコスカ 歌詞。 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ TAK MATSUMOTO 歌詞情報

港 の ヨーコ ヨコハマ ヨコスカ 歌詞

どんな世界でも、その道で名を成し、大きな功績を残すことは並大抵のことではない。 彼らの華々しい成果と、その道程での活力は、手を携えた無二のパートナーや時にはライバル同士によって、倍加した力でもたらされるのだ。 人はその得がたい縁を「ゴールデンコンビ」と呼ぶ! 宇崎竜童がダウン・タウン・ブギウギ・バンドでデビューして今年で40周年。 しかし、作詞家・阿木燿子とのつきあいはそれよりも長い。 山口百恵をはじめ、さまざまな歌い手に楽曲を提供し、大ヒットさせてきた2人のコンビ誕生秘話を聞いた。 阿木と僕は同じ大学の音楽サークルにいたんですね。 で、僕はアマチュアバンドをやっていて、すでに350ぐらいの曲があった。 最初は自分で作詞もしていたんですが、ある時、ついに書くことがなくて困ってしまった。 それで周りの連中に『作詞しないか?』と手当たりしだいに声をかけまくったんです。 今でも言ってますが、 ラブソングを書く時に『 愛してる』 と書いたら終わりだと。 大事なのはそれを書かずにどう伝えるか。 その意識が最初からあったのは才能かなと思いますね」 中でも印象深い歌詞は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを一躍有名にした「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。 それはチラシの裏に鉛筆で書かれていたという。 2人はすでに夫婦となっていた。 「家に帰ったらコタツの上にポンと置いてあるんですよ。 で、見たらあの詞でしょ。 何じゃこりゃと(笑)。 どうすれば歌になるのか、いちばん悩んだのがあの曲ですね。 「ああ、でも、それは言ったことがないですね。 というのも、阿木の詞で作曲に困ったのはこの1曲だけなんです。 他の詞は、見た瞬間こそ『 こんなことをテーマにしたのか?』 と途方に暮れかかるんですが(笑)、じっと見てると、なぜか音符が浮かんでくる。 それは阿木の詞を見た時にだけ起こる感覚。 当時は次のシングルに向けて、2~3カ月に一度ぐらい、向こうのスタッフとアイデアを出し合う会議があったのかな。 で、その場でイケそうなテーマやフレーズがあれば『じゃあ、いつまでに書いてきてくれ』と発注を受けるような形だったんです。 こっちもかなりおもしろがって作っていたし、変化球も投げましたが、百恵さんはどれもみごとに次々と打ち返してきた。 でも、それより阿木からのプレッシャーのほうが厳しい(笑)。 全ておっしゃるとおりですと(笑)。 でも、そうやって常に新しいものを求められるから、阿木とはまだまだ仕事ができる。 あと2000曲はイケるんじゃないかな」.

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港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

港 の ヨーコ ヨコハマ ヨコスカ 歌詞

ある女性を捜している主人公の男性 「アンタあの娘の何んなのさ」と 呼ばれているアンタのことです。 元カレでしょう が、彼女と関わりを 持っていた人物達の証言を頼りに、横浜から横須賀をたずねて、少し ずつその女性へ迫っていくという歌です。 歌に登場するセリフは主に、彼女と関わりを持った人たちの言葉 証言 です。 最後の3つの音は、汽笛は横浜、横須賀が港町ですので、その効果音 として使ったのだと思います。 また、3つの汽笛の最初の音は、パトカーのサイレンを連想させるもの ですので、とうとう彼女をつかまえたという意味でこのパトカーに似た 音を使ったとも考えられます。 Aさんの証言 一寸前なら憶えちゃいるが 一年前だとチトわからねエなあ 髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねエ ワルイなあ他をあたってくれよ アンタ あの娘の何んなのさ! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ Bさんの証言 半年前にやめたハズさアタイたちにゃアイサツなしさ マリのお客をとったってサそりゃもう大さわぎ 仁義を欠いちゃいられやしないよ アンタ あの娘の何んなのさ! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ Cさんの証言 ハマから流れて来た娘だね ジルバがとってもうまくってよお 三月前までいたはずさ小さな仔猫を拾った晩に 仔猫といっしょにトンズラよ どこへ行ったか知らねエなあ アンタ あの娘の何んなのさ! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ Dさんの証言 横須賀好きだっていってたけど 外人相手じゃカワイソーだったねエ あんまり何んにも云わない娘だったけど 仔猫と話していたっけねエ 前借り残したまんま一と月たったらおサラバさ アンタ あの娘の何んなのさ! 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ Eさんの証言 たった今まで坐っていたよあそこの隅のボックスさ 客がどこかをさわったって店をとび出していっちまった ウブなネンネじゃあるまいしどうにかしてるよあの娘 アンタ あの娘に惚れてるね 港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ.

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”港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ” by DOWN TOWN BOOGIE WOOGIE BAND

港 の ヨーコ ヨコハマ ヨコスカ 歌詞

どんな世界でも、その道で名を成し、大きな功績を残すことは並大抵のことではない。 彼らの華々しい成果と、その道程での活力は、手を携えた無二のパートナーや時にはライバル同士によって、倍加した力でもたらされるのだ。 人はその得がたい縁を「ゴールデンコンビ」と呼ぶ! 宇崎竜童がダウン・タウン・ブギウギ・バンドでデビューして今年で40周年。 しかし、作詞家・阿木燿子とのつきあいはそれよりも長い。 山口百恵をはじめ、さまざまな歌い手に楽曲を提供し、大ヒットさせてきた2人のコンビ誕生秘話を聞いた。 阿木と僕は同じ大学の音楽サークルにいたんですね。 で、僕はアマチュアバンドをやっていて、すでに350ぐらいの曲があった。 最初は自分で作詞もしていたんですが、ある時、ついに書くことがなくて困ってしまった。 それで周りの連中に『作詞しないか?』と手当たりしだいに声をかけまくったんです。 今でも言ってますが、 ラブソングを書く時に『 愛してる』 と書いたら終わりだと。 大事なのはそれを書かずにどう伝えるか。 その意識が最初からあったのは才能かなと思いますね」 中でも印象深い歌詞は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドを一躍有名にした「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」。 それはチラシの裏に鉛筆で書かれていたという。 2人はすでに夫婦となっていた。 「家に帰ったらコタツの上にポンと置いてあるんですよ。 で、見たらあの詞でしょ。 何じゃこりゃと(笑)。 どうすれば歌になるのか、いちばん悩んだのがあの曲ですね。 「ああ、でも、それは言ったことがないですね。 というのも、阿木の詞で作曲に困ったのはこの1曲だけなんです。 他の詞は、見た瞬間こそ『 こんなことをテーマにしたのか?』 と途方に暮れかかるんですが(笑)、じっと見てると、なぜか音符が浮かんでくる。 それは阿木の詞を見た時にだけ起こる感覚。 当時は次のシングルに向けて、2~3カ月に一度ぐらい、向こうのスタッフとアイデアを出し合う会議があったのかな。 で、その場でイケそうなテーマやフレーズがあれば『じゃあ、いつまでに書いてきてくれ』と発注を受けるような形だったんです。 こっちもかなりおもしろがって作っていたし、変化球も投げましたが、百恵さんはどれもみごとに次々と打ち返してきた。 でも、それより阿木からのプレッシャーのほうが厳しい(笑)。 全ておっしゃるとおりですと(笑)。 でも、そうやって常に新しいものを求められるから、阿木とはまだまだ仕事ができる。 あと2000曲はイケるんじゃないかな」.

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