ポニョ お母さん 名前。 両親を名前で呼ぶ

【連載】私たち家族が名前で呼び合う理由|母さんと呼ばないで(2)|大人すはだ 〜大人がすはだで暮らす時間〜

ポニョ お母さん 名前

c 2008 Studio Ghibli・NDHDMT 『崖の上のポニョ』。 さかなの子のポニョのかわいらしさ、不思議な出来事の数々、大きな波と一緒に疾走する画など、アニメーション映画としての楽しさがいっぱいの本作には、「あれはどういうことだったの?」とモヤモヤしたり、「ひょっとすると、こういうことかも!」と想像が膨らむシーンもたくさんあります。 ここでは、そのモヤモヤをちょっとだけでも解消できるかもしれない、さらに作品を奥深く知ることができるポイントについて、解説してみます。 まだ映画を観たことがない、という方は鑑賞後に読むことをおすすめします。 なぜ宗介は両親を呼び捨てにしているの? c 2008 Studio Ghibli・NDHDMT 多くの方が違和感を覚えるであろうことは、5歳の男の子の宗介が、両親を「リサ」「耕一」と呼び捨てにしていること。 劇中では、そのことを疑問に思ったり、指摘する人はいません。 このことについて、鈴木敏夫プロデューサーは「(宮崎駿監督の設定としては)おそらく母であるリサがそう呼ぶように宗介を育てている」「(呼び捨てにさせるのは)家族間であっても、一個人として自立すべきだということの象徴なのだと思います」「もしかすると、今後の日本の家族のあり方なのかもしれない」と答えていました。 なるほど。 両親を名前で呼び捨てにしたほうが、お父さんやお母さんという普遍的な立場への依存度が低くなり、子どもの自立を促しやすいのではないか、というのはわかる気もします(もちろん、両親を呼び捨てにするなんてとんでもない!と思う人のほうが多いでしょうが)。 例えば『千と千尋の神隠し』では主人公の千尋が名前を勝手に奪われてしまう恐ろしいシーンがありましたし、『崖の上のポニョ』のポニョは宗介に付けてもらったその名前をいたく気に入っていたようでした。 その他の宮崎駿作品でも、登場人物が自分の名前や素性を話すシーンは特に重要なものとして描かれているようでした。 宗介が母親のリサを探しに行った先でクルマを見つけ、何度も何度も「リサ」と叫ぶシーンは痛切な印象を残します。 5歳の男の子が、母親という肩書もない、ただただ大切に想う一個人を呼び続けるこのシーンのために、この両親を呼び捨てにするという設定があったのではないか、とも思えるのです。 ちなみに、『崖の上のポニョ』のBlu-rayには英語音声の北米版が収録されていますが、こちらでは宗介はリサを呼び捨てにせず、「Mom」または「Mommy」と呼んでいます。 耕一という父親の名前も「Dad」に代えられていた箇所がありました。 英語圏では友だち同士でなくともフランクに呼び捨てをするという印象がありますが、それでも親を名前だけで呼ぶというのは、ギョッとしてしまうところがあるのでしょうね。

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崖の上のポニョ

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一人の女性として「母になること」と、個人である「私」として生きていくことを考える、短期連載「母さんと呼ばないで」。 第2回目は、藤岡聡子さんが家族で呼び合っている名前と、なぜその選択をしたのかについて、語っていただきます。 *** 我が家には、両親を「母さん」「父さん」と呼ぶ習慣がありません。 4歳の息子はわたし・聡子を「さと」、父・直(すなお)を「すーちゃん」と呼びます。 「なぜ聡子さんの家は、名前で呼び合うんですか?!」と驚かれることもあり、その度に思い浮かぶことを答えてきましたが、わたしなりに整理してみることにしました。 『崖の上のポニョ』に出てくるリサという女性への憧れ わたしの母は、料理も家事も庭仕事も完璧にこなす上、温厚な性格でした。 そんな母に対し、わたしはキャベツとレタスを見分けることもあやしい始末。 母が自分の性格と違えば違うほど、「母になる」ことに、得体の知れない不安を感じたこともありました。 ですが、ある映画を観て、わたしの中の母親像に転機が訪れたのです。 まだわたしが学生だった 2008年、ジブリ映画『 崖の上のポニョ』を観ました。 ストーリーに引き込まれたと同時に、なんて素敵だろう!と思ったのが、主人公宗介の母・リサでした。 映画を観たことのある方はイメージできるかと思いますが、リサは、ちゃきちゃきと仕事をし、大股で歩き、子の前でもお構いなしで喧嘩をし電話をガチャ切りし、家事を放棄してふてくされるような女性です。 彼女の姿を見て、「あぁなんだろう、この初めて出会った感じがしないのは。 まるで自分が将来母になったときの姿をみているようだ」と安心感すら覚えたのです。 『崖の上のポニョ』のリサは、「 大丈夫、そのままのあなたで母ちゃんになっていきな!」とわたしの背中を押してくれました。 親子はヨコ並びの関係がいい 『崖の上のポニョ』の主人公でリサの息子である宗介は、彼女のことを「リサ!」と名前で呼びます。 宗介は映画の中でリサを勇気づけ、励まし、救助のため家を離れるリサを送り出します。 こんな親子関係があるのだと、当時は衝撃を覚えました。 自己紹介でもお話ししましたが、 12歳で父を亡くしてから、母との関係性を悩み抜いたわたしにとっては、親子関係ほど難しいものはないと思っていたからです。 「言霊」というように、言葉には大きな力があります。 家族という、毎日顔を合わせる関係こそ、相手を尊重し、ヨコ並びで生きていくために、どんなふうに相手を呼び、接するのかが大事だと思いました。 そのひとつの答えが、名前で呼び合うという方法でした。 『崖の上のポニョ』を観てから、いつか自分が家族をもったら、「母さん」と役割の名で呼ばれるよりも、名前で呼び合うことから始めようと、そう決めたのです。 役割と存在は別もの ここまでいっておきながら、実は呼び方など関係ないのだ、と思う自分もいます。 実際、『崖の上のポニョ』を観た後もわたしは母や兄、姉を名前で呼んだことはありません。 夫とは、付き合っていた時から結婚した今でも、呼び名は変わっていません。 要は、 妻と夫、または親と子が「母だから」「子どもだから」と役割を言い訳にしていないかどうか。 役割と、一人ひとりの存在は別ものです。 わたし自身がそう心に決めて生きようとしているからこそ、こだわり続けているのかもしれません。 息子がつくった空にたなびく色紙たち.

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【徹底解説】『崖の上のポニョ』|なぜ両親を呼び捨て?トンネルの意味は?

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¥4,935 Amazon. ネタバレがありますが、より深く内容を理解したい方には お薦めかもしれません。 瓶は流れて海の近くの崖の上に住む、宗介に拾われ助けられます。 宗介は『小さなお魚のポニョを守ってあげる!』と誓います。 そんな宗介をポニョは大好きになるのです。 お父さんはポニョをなんとかして連れ戻しましたが、ポニョは 宗介に会いたくて仕方ありません。 その思いはポニョに手足をあたえました。 ポニョは人間である宗介の傷を舐めた為に人間になることもできる 半魚人になったのです。 ¥5,985 Amazon. 大嵐の日、町は大変でした。 お母さんと宗介は嵐の中、あれた海から人間の女の子になって現れた ポニョと再会します。 喜びに喚起するポニョと宗介。 お母さんのリサは、そんな2人を優しく見守るのでした。 ところが大嵐の後、リサは山の方で、光が動いているのを見つけ、 勤めている老人ホームのお年寄り達が心配で嵐の中を出かけて 行きます。 一方、リサは海の中で老人ホームのお年寄り達や職員さん、ポニョの お母さんと一緒にいました。 ポニョのお母さんは言います 「ポニョが本当の人間になるには宗介の一生の愛情が必要です、 5歳の子どもにどうかしら?」と心配そうに…。 ポニョのお母さんが、宗介に尋ねます。 「宗介さん、ポニョが魚の子だったとしてもあなたはポニョが 好きですか?」 ここからはお薦め映画『崖の上のポニョ』をお愉しみください。 リサ:「嵐もおさまってきたので、山までいってみるわ!」 宗介:「僕もリサと一緒にいく」 リサ:「ここは、嵐の中の灯台なの、嵐の中にいる人は この光に励まされているのだからここにいて。 私は「愛」と「光」と「忍耐」です。 宗介:『ぼくが守ってあげるからね。 』 ところが、ポニョの父・フジモトによって、ポニョは海の中へと 連れ戻されてしまいます。 ポニョ:「人間になりたい!」 宗介:「ポニョが、お魚でも、半魚人でも、人間でも大好きだよ!」 愛と光と忍耐でいこう! 追伸:映画『崖の上のポニョ』をみて、思わずハムを 食べてしまいました。 巨大な大きさに、思わず笑顔になります。 季節限定とか、季節おすすめとか。 。 コーヒーゼリーが大きいせいか、ストローでの吸い上げが 少しむずかしいかもしれません。 力が入りましたが最後まで美味しくいただけました。

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