ハイイロ ジェントル キツネザル。 ハイイロジェントルキツネザル web猿図鑑|猿.com

キツネザルのいる動物園

ハイイロ ジェントル キツネザル

午前中のインドリ観察が終了して、いよいよマダガスカル旅行も残すはレムール島で、餌付けされ放し飼いされているいつくかのキツネザルを観察するだけとなる。 さすがに残りはわずかとなると寂しさを感じる。 レムール島には水路で囲まれた島があり、そこにはほんの10mもないが小舟を使って対岸にわたる。 おそらく人がくれる餌を楽しみに待っているのだろうが、僕らが対岸に着くまでにいくつかのキツネザル類が待機している。 ここでは4種類のキツネザルが餌付けされている。 シロクロキツネザル、チャイロキツネザル、ベローシファカ(一頭のみ。 かなり高齢)、ハイイロジェントルキツネザルである。 初めてみるシロクロキツネザル、ハイイロジェントルキツネザルが見れたのが嬉しかったが、なにより直に触れるところがいい。 係員が餌を渡すとたちまちキツネザルたちが集まってくる。 係員が僕らの肩(場合によっては頭)にキツネザルが乗ってくるように餌を誘導する。 予想よりも軽い。 むしろちょうど心地よい重みがのしかかってくる感じだ。 少し短めの毛をもつハイイロジェントルキツネザル以外はとてもフサフサで、密度のある毛をもっており、手でなでるととても柔らかくて気持ちがいい。 シロクロキツネザルが僕の肩に乗っているときに、体にそっと頬を当ててみた。 生き物がもつ特有の温もりが伝わる。 人間の体温より少し温かいようだ。 この温もりはなんだか、以前家で飼っていた鳥たちの温もりを連想させた。 キツネザルたちを触ることができるし、じっと手で撫でさせてくれる。 ただし手で触る場合はキツネザルたちの視界にあるところから手をのばすように。 なぜなら、視界のないところから手を伸ばして触ると「ビクッ」とすることがほとんどだし、たまにそれを嫌がって逃げていくこともあった。 ここには高さ1mくらいの、木の幹でつくった直径10cmくらいの一本道が作られている。 キツネザルたちは、地面を歩くよりなぜかこの不安定な木の道を歩く。 一本道なので、アリがその行列でぶつかるように、行き先の方向が異なるキツネザル同士でぶつかる。 チャイロキツネザル同士でぶつかった時、おそらく優位に立っていると思われるキツネザルが「ブッブッ」と低い声をだした。 すると、もう一方のチャイロキツネザルが来た道をUターンしていった。 この低音で発声される「ブッブッ」音はおそらく「どけ!」というコミュニケーションと理解できることが想像できた。 ベレンティ保護区編でベローシファカのコミュニケーションについて少し書いたが、キツネザルというのは案外多種の言葉があると思われる。 私が探している限り、それらに触れた書物がいまのところないと思われるが、とても奥が深い世界が待ち受けているような気がして、次回マダガスカルにいったとき、種間で行われるコミュニケーションについて注視したいと思っている。 シロクロキツネザル ハイイロジェントルキツネザル ひとしきりキツネザルたちと遊んだ後で僕らは船で10m先の対岸に連れて行ってもらい、今回の旅で見納めとなるキツネザルたちの姿をしばらく脳裏に焼きつけた。 一羽の鳥が飛んできて、近くの木の枝にとまった。 それは夏羽となっているキレイなノビタキだった。 キツネザルやノビタキをみながら、キツネザルや鳥やカメレオン、カエル、いろんな昆虫たちとのふれあいがすばらしかったなぁ、なんだかあっという間に終わった旅だったなぁ、と寂しさを感じていた。 多くの生きものにとって、森は生活する基盤になる。 陸上だけではなく、ダイビングする人は海中ですらサンゴや海藻(海草)があるところに生き物があふれることもしっている。 、もちろん極地や砂漠、外洋、深海など木が乏しいかあるいはまったくない場所でも生物はいる。 しかしほとんどの種を俯瞰すると、どうしても木や森があるところに圧倒的な多様性が生まれているし、それがなくなることでかなりの種が減少していくことも明白だ。 マダガスカルでは1990年代に約22%あった森林地帯が、現在では10%以下まで減少している。 焼畑や、乾燥地では炭にして売ったお金を生活基盤にしているところもある。 実際、ベレンティからアンタナナリボにもどる飛行機からみていると、そのわずか1時間ちょっとのフライトで5ヶ所もの焼畑と思われる煙が確認された。 キツネザルの分布マップをみると、多くの種でほとんど点状といってもいいくらいに局所化している。 アフリカで全般にいえることだが、こうした問題の多くが貧困であることも主要な原因の一つとなる。 保護区を設立するための費用もバカにならない現状で、僕らができるわずかなことはツーリズムとして訪れてお金を落とすことである。 観光資源が一番の外貨収入になっていることからも、それは効果的だと思われる。 僕としては中国にODAを拠出するくらいならこうした国、動物の保護に税金を使うべきだと思う。 A major contrivution to the conservation of the biodiversity of a country can be made simply by letting the government of the country know that you are coming to the country to observe the wildlife. Making it clear that Madagascar's bird life is fascinating and of great value to you, the evidence being the money you paid to come to and stay in Madagascar, will help to convince decisionmakers that it is worth investing money in biodiversity conservation for purely financial reasons. 国の生物多様性を保護する主要な貢献は、単に国の政府に野生生物を観察するために人々がその国を訪れることを知らしめるだけでよい。 マダガスカルの鳥の生活は魅力的で、人々にとって大いなる価値があることは明白である。 そして人がマダガスカルにやってきて滞在することがお金になるという根拠は、純粋に金融的理由にたいして生物多様性の保護をすることに投資する価値があるということを政策決定者に納得させることに役立つだろう。 (「Bird of Madagascar Yale University Press 」より) アメリカという深みのない新参者の文化が、戦後世界をリードすることで作りだしてきたこの社会。 そこで人々は強力な資本主義の枠組みに否応なく入れられて生活している。 先進国は豊かで、発展途上国はとても貧しい生活という二極化である。 貧しい国にいくとよくわかる。 貧しさの螺旋からどうにも逃れることのできない虐げられた生活をし、希望などとても見出せそうにない生活をする非常にたくさんの人々。 我々先進国の人たちがしているある程度豊かな生活はこうした圧倒的に貧しい人々の上に成り立っている。 それは人類という地上にある生物種の新参者の文化が、生物をリードすることで作りだしてきた社会とどうしてもダブルときがある。 人類は自分たちの都合のよいように環境をかえ、それ以外の生物種はかえられた環境に従って追い出され、絶滅させられ、あるいはスズメやカラス、ドブネズミのように人間の環境に進出してくるものがいる。 しかしほとんどの生物種にとって、激しい環境変化からどうにも逃れることのできない虐げられた生活をしているように思う。 彼らから見るとまったく原因不明の要因によって、生活する場が忽然となくなり絶滅し、あるいは少ない生活の場、食料を奪い合って種外間、種内間の争いとなっていく。 一度失われたものはすぐに回復することはできない。 植物であれば、植林などをしていきながら長い時間をかけて少しずつ回復することはできるかもしれない。 しかしこの世から消え去った動物は復活できない。 それは生態系という枠組みの中のひとつの欠損である。 欠損は人間でいう外傷であり、ものによって外科的手術で治ることもあれば、手足の欠損のように永久に失われることもある。 永久に失われた環境、生命が多発することによってどのような事象が生じるかは結局のところ誰にもわからない。 もはや実験によっては確かめようがないからだ。 生物科学者の間で明らかになりつつあることは、食物連鎖の頂点捕食者がいなくなることでそれにともないいくつかの種がやがて消えていく事実である。 またそれに関連して植物相も変わっていくという事実である。 生物種が減少しつつあるという事実の謎がわからないでいた科学者は、どうやら有史以来の人間活動、つまり頂点捕食者を駆除して絶滅させてきた行為に関連して他の種も減っていく構図を見出しつつある。 最近になって人間が環境を破壊してきたから動物種が減っているのではなく、有史以来ずっと前の人間活動が積み重なって減らしてきていたのだ。 そういう事実がわかりつつある。 チムバザザ動植物園で、ワオキツネザルが僕をジッと見つめていたあの顔を何度も思い出す。 あの目はそういうことを伝えたかったんではないだろうか、と僕は想いを巡らしている。 僕らの人間活動の発展が、ゆくゆくは自分たちの首を絞めているだけではないかと。 僕の頭の中にいるワオキツネザルがいった。 「俺がそんなこと考えるわけないじゃん。 だいいち、俺たちがそんな小難しいことを考えて生きるわけないだろう?いま、ここで生きるためにするべきことを一つ一つ確実にこなしていくだけで精一杯なんだ。 」 僕はいった。 「気にしないでくれ。 好きで考えているだけなんだ。 僕は人間だから君たちのように生きることはできない。 だから僕は自分が自分の人生をこの現在という時間に、この世界に関連させて生きるときに、何をするのがいいのか、何をすることができるのか思いめぐらせているだけなんだ」 「ふうん、勝手にしなよ」と彼はいった。

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どうぶつ図鑑「ハイイロジェントルキツネザル」 | 東京ズーネット

ハイイロ ジェントル キツネザル

ネズミ?キツネ?サル? これほどまでに煩わしい名前のサルなんてほかにいません。 あ、うっかり答えを言ってしまいました。 そうです、ハイイロネズミキツネザルは、ネズミでもキツネでもありません。 れっきとしたサルの一種なのです。 ネズミのような、キツネのような、サルなのです。 とはいえそのルックスはとてもサルであるとは思えません。 なにせネズミのように小さい! 体長わずか12㎝、体重60g、しっぽ約12㎝ともうネズミといってもいいくらいです。 当然のことながら、子どもはこれよりももっと小さくなります。 生まれたての赤ちゃんはなんと6g。 1円玉6枚の重さです。 手のひらに1円玉を6枚載せてみてください。 無に等しい重さです。 ネズミキツネザル属のなかまは、霊長類の中でも最も小さいサルです。 こんなに小さい生き物が私たち人間と同じ霊長類のなかまであるとはとても信じられないですね。 ネズミのようなネズミキツネザルですが、ネズミと明らかに違う部分があります。 それが寿命です。 ネズミの寿命はせいぜい2年ほどですが、同じ大きさでもネズミキツネザルの寿命は約15年です。 サルは体の大きさの割に長生きな生き物なのです。 ハイイロネズミキツネザルの生態 ハイイロネズミキツネザルは、 の西部から南西部にかけて、沿岸の 乾燥林などに生息します。 雑食性で、主に 昆虫を食べます。 垂直の枝を後肢でつかみ、地面に平行するように体を浮かせる「 旗姿勢」という独特の姿勢で動きの速い昆虫も捕獲します。 また、甲虫を食べるためか、手には吸盤があり、歯は全て尖っています。 この他には 果実や 花、 樹液、 蜜なども食べます。 冬になるとえさも少なくなり活動が鈍りますが、 しっぽに蓄えられた脂肪を用いて乗り切ります。 ハイイロネズミキツネザルは、見た目はネズミに似ていますが動きがネズミとは違います。 このサルは、 ネズミと違って枝の上をピョンピョン、木から木へピョンピョン、ジャンプして移動するのです。 また、大きな耳と目や、が持つもネズミとは異なるところでしょう。 このサルは、夜に活発になる 夜行性です。 夜になるとえさを探しに森に繰り出します。 他の夜行性のキツネザル同様、目にという組織を持っており、それが光を増幅するので夜でも活動することができます。 日中は木の洞などで眠ります。 ある地域ではメスはメスで複数集まって眠ることがある一方、オスは1~2頭で眠る傾向があるようです。 このサルの場合 メスはオスよりも優位にあるので、もしかしたらオスははじき出されているのかもしれません。 下の動画では、言い寄るオスの顔をメスがパンチしています。 最終的にはメスはオスを自分の木の穴に迎え入れるのですが、オスとメスの力関係がよくわかる動画です。 ハイイロネズミキツネザルは、9月~3月にかけて繁殖が行われます。 妊娠期間は55~70日で、通常双子の赤ちゃんが生まれます。 赤ちゃんは母親によって育てられ、約240日で性成熟に達します。

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キツネザル科

ハイイロ ジェントル キツネザル

午前中のインドリ観察が終了して、いよいよマダガスカル旅行も残すはレムール島で、餌付けされ放し飼いされているいつくかのキツネザルを観察するだけとなる。 さすがに残りはわずかとなると寂しさを感じる。 レムール島には水路で囲まれた島があり、そこにはほんの10mもないが小舟を使って対岸にわたる。 おそらく人がくれる餌を楽しみに待っているのだろうが、僕らが対岸に着くまでにいくつかのキツネザル類が待機している。 ここでは4種類のキツネザルが餌付けされている。 シロクロキツネザル、チャイロキツネザル、ベローシファカ(一頭のみ。 かなり高齢)、ハイイロジェントルキツネザルである。 初めてみるシロクロキツネザル、ハイイロジェントルキツネザルが見れたのが嬉しかったが、なにより直に触れるところがいい。 係員が餌を渡すとたちまちキツネザルたちが集まってくる。 係員が僕らの肩(場合によっては頭)にキツネザルが乗ってくるように餌を誘導する。 予想よりも軽い。 むしろちょうど心地よい重みがのしかかってくる感じだ。 少し短めの毛をもつハイイロジェントルキツネザル以外はとてもフサフサで、密度のある毛をもっており、手でなでるととても柔らかくて気持ちがいい。 シロクロキツネザルが僕の肩に乗っているときに、体にそっと頬を当ててみた。 生き物がもつ特有の温もりが伝わる。 人間の体温より少し温かいようだ。 この温もりはなんだか、以前家で飼っていた鳥たちの温もりを連想させた。 キツネザルたちを触ることができるし、じっと手で撫でさせてくれる。 ただし手で触る場合はキツネザルたちの視界にあるところから手をのばすように。 なぜなら、視界のないところから手を伸ばして触ると「ビクッ」とすることがほとんどだし、たまにそれを嫌がって逃げていくこともあった。 ここには高さ1mくらいの、木の幹でつくった直径10cmくらいの一本道が作られている。 キツネザルたちは、地面を歩くよりなぜかこの不安定な木の道を歩く。 一本道なので、アリがその行列でぶつかるように、行き先の方向が異なるキツネザル同士でぶつかる。 チャイロキツネザル同士でぶつかった時、おそらく優位に立っていると思われるキツネザルが「ブッブッ」と低い声をだした。 すると、もう一方のチャイロキツネザルが来た道をUターンしていった。 この低音で発声される「ブッブッ」音はおそらく「どけ!」というコミュニケーションと理解できることが想像できた。 ベレンティ保護区編でベローシファカのコミュニケーションについて少し書いたが、キツネザルというのは案外多種の言葉があると思われる。 私が探している限り、それらに触れた書物がいまのところないと思われるが、とても奥が深い世界が待ち受けているような気がして、次回マダガスカルにいったとき、種間で行われるコミュニケーションについて注視したいと思っている。 シロクロキツネザル ハイイロジェントルキツネザル ひとしきりキツネザルたちと遊んだ後で僕らは船で10m先の対岸に連れて行ってもらい、今回の旅で見納めとなるキツネザルたちの姿をしばらく脳裏に焼きつけた。 一羽の鳥が飛んできて、近くの木の枝にとまった。 それは夏羽となっているキレイなノビタキだった。 キツネザルやノビタキをみながら、キツネザルや鳥やカメレオン、カエル、いろんな昆虫たちとのふれあいがすばらしかったなぁ、なんだかあっという間に終わった旅だったなぁ、と寂しさを感じていた。 多くの生きものにとって、森は生活する基盤になる。 陸上だけではなく、ダイビングする人は海中ですらサンゴや海藻(海草)があるところに生き物があふれることもしっている。 、もちろん極地や砂漠、外洋、深海など木が乏しいかあるいはまったくない場所でも生物はいる。 しかしほとんどの種を俯瞰すると、どうしても木や森があるところに圧倒的な多様性が生まれているし、それがなくなることでかなりの種が減少していくことも明白だ。 マダガスカルでは1990年代に約22%あった森林地帯が、現在では10%以下まで減少している。 焼畑や、乾燥地では炭にして売ったお金を生活基盤にしているところもある。 実際、ベレンティからアンタナナリボにもどる飛行機からみていると、そのわずか1時間ちょっとのフライトで5ヶ所もの焼畑と思われる煙が確認された。 キツネザルの分布マップをみると、多くの種でほとんど点状といってもいいくらいに局所化している。 アフリカで全般にいえることだが、こうした問題の多くが貧困であることも主要な原因の一つとなる。 保護区を設立するための費用もバカにならない現状で、僕らができるわずかなことはツーリズムとして訪れてお金を落とすことである。 観光資源が一番の外貨収入になっていることからも、それは効果的だと思われる。 僕としては中国にODAを拠出するくらいならこうした国、動物の保護に税金を使うべきだと思う。 A major contrivution to the conservation of the biodiversity of a country can be made simply by letting the government of the country know that you are coming to the country to observe the wildlife. Making it clear that Madagascar's bird life is fascinating and of great value to you, the evidence being the money you paid to come to and stay in Madagascar, will help to convince decisionmakers that it is worth investing money in biodiversity conservation for purely financial reasons. 国の生物多様性を保護する主要な貢献は、単に国の政府に野生生物を観察するために人々がその国を訪れることを知らしめるだけでよい。 マダガスカルの鳥の生活は魅力的で、人々にとって大いなる価値があることは明白である。 そして人がマダガスカルにやってきて滞在することがお金になるという根拠は、純粋に金融的理由にたいして生物多様性の保護をすることに投資する価値があるということを政策決定者に納得させることに役立つだろう。 (「Bird of Madagascar Yale University Press 」より) アメリカという深みのない新参者の文化が、戦後世界をリードすることで作りだしてきたこの社会。 そこで人々は強力な資本主義の枠組みに否応なく入れられて生活している。 先進国は豊かで、発展途上国はとても貧しい生活という二極化である。 貧しい国にいくとよくわかる。 貧しさの螺旋からどうにも逃れることのできない虐げられた生活をし、希望などとても見出せそうにない生活をする非常にたくさんの人々。 我々先進国の人たちがしているある程度豊かな生活はこうした圧倒的に貧しい人々の上に成り立っている。 それは人類という地上にある生物種の新参者の文化が、生物をリードすることで作りだしてきた社会とどうしてもダブルときがある。 人類は自分たちの都合のよいように環境をかえ、それ以外の生物種はかえられた環境に従って追い出され、絶滅させられ、あるいはスズメやカラス、ドブネズミのように人間の環境に進出してくるものがいる。 しかしほとんどの生物種にとって、激しい環境変化からどうにも逃れることのできない虐げられた生活をしているように思う。 彼らから見るとまったく原因不明の要因によって、生活する場が忽然となくなり絶滅し、あるいは少ない生活の場、食料を奪い合って種外間、種内間の争いとなっていく。 一度失われたものはすぐに回復することはできない。 植物であれば、植林などをしていきながら長い時間をかけて少しずつ回復することはできるかもしれない。 しかしこの世から消え去った動物は復活できない。 それは生態系という枠組みの中のひとつの欠損である。 欠損は人間でいう外傷であり、ものによって外科的手術で治ることもあれば、手足の欠損のように永久に失われることもある。 永久に失われた環境、生命が多発することによってどのような事象が生じるかは結局のところ誰にもわからない。 もはや実験によっては確かめようがないからだ。 生物科学者の間で明らかになりつつあることは、食物連鎖の頂点捕食者がいなくなることでそれにともないいくつかの種がやがて消えていく事実である。 またそれに関連して植物相も変わっていくという事実である。 生物種が減少しつつあるという事実の謎がわからないでいた科学者は、どうやら有史以来の人間活動、つまり頂点捕食者を駆除して絶滅させてきた行為に関連して他の種も減っていく構図を見出しつつある。 最近になって人間が環境を破壊してきたから動物種が減っているのではなく、有史以来ずっと前の人間活動が積み重なって減らしてきていたのだ。 そういう事実がわかりつつある。 チムバザザ動植物園で、ワオキツネザルが僕をジッと見つめていたあの顔を何度も思い出す。 あの目はそういうことを伝えたかったんではないだろうか、と僕は想いを巡らしている。 僕らの人間活動の発展が、ゆくゆくは自分たちの首を絞めているだけではないかと。 僕の頭の中にいるワオキツネザルがいった。 「俺がそんなこと考えるわけないじゃん。 だいいち、俺たちがそんな小難しいことを考えて生きるわけないだろう?いま、ここで生きるためにするべきことを一つ一つ確実にこなしていくだけで精一杯なんだ。 」 僕はいった。 「気にしないでくれ。 好きで考えているだけなんだ。 僕は人間だから君たちのように生きることはできない。 だから僕は自分が自分の人生をこの現在という時間に、この世界に関連させて生きるときに、何をするのがいいのか、何をすることができるのか思いめぐらせているだけなんだ」 「ふうん、勝手にしなよ」と彼はいった。

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