護衛艦 あさ ゆき。 まつゆき (護衛艦)

あさぐも (護衛艦)

護衛艦 あさ ゆき

にて 基本情報 建造所 運用者 艦種 級名 艦歴 発注 起工 進水 就役 除籍 その後 、解体処分のため横須賀基地からに向け出港する。 要目 2,950 4,000 トン 130 最大幅 13. 6m 深さ 8. 5m 4. 15 mod. の4番艦。 「さわゆき」の名は、「沢に降る雪」即ち「沢雪」に由来する。 なお、艦艇名としては通して初の命名である。 艦歴 [ ] 「さわゆき」は、昭和54年度計画2,900トン護衛艦、2213号艦としてで1981年4月22日に起工され、1982年6月21日に進水、1984年2月15日に就役し、第41護衛隊に編入されに配備された。 、第1護衛隊群隷下に第48護衛隊が新編され同日付で就役した「」とともに編入された。 、に参加。 、第41護衛隊に編入されに定係港が転籍。 、遠洋練習航海に参加。 、第4護衛隊群第48護衛隊に編入。 同日付で隊番号の改正により第48護衛隊が第8護衛隊に改称。 、第7護衛隊に編入。 、第21護衛隊に編入され、再び横須賀に転籍。 、の大改編により、第21護衛隊が第11護衛隊に改称され、隷下に編成替え。 、遠洋練習航海に参加。 、東日本大震災おける災害派遣に出動。 発災後約1時間(出港時刻15:39)で出港し、初動段階から被災地(岩手県久慈沖)へ進出、護衛艦隊で最も早く出港し、活躍した艦の一つであった。 なお、~の間、福島第1原発冷却用の真水給水のためのバージ船えい航時の警戒艦として行動した。 、除籍。 最終所属は護衛艦隊第11護衛隊、定係港は横須賀であった。 総航程:758,102. 2NM(地球約35周分) 総航海時数:63403時間31分(2642日) さわゆき放火事件 [ ] 2008年7月6日午前3時35分ごろ、・横須賀港から・港に向け航行中、青森県・の東南東約25キロの海上で、艦前部の揚錨機室内で出火、火災が発生した。 同50分すぎに鎮火。 ところが、7月11日になって、火災の原因が21歳の海士長による放火であることが発覚し、の規律について問題となった。 この原因について(当時)は自衛隊が「極度の緊張感の中で色々な任務を遂行する場面が非常に増えてきた。 実任務が増え、行動し、(防衛についての)役割が極めて強く求められている中にあって、非常に忙しすぎる」ために起きた事件であるとした。 ただ、この事件の取材に向かっていた チャーターのヘリが墜落して4名が死亡 したことについては「こういうことが起こらなければ、痛ましいことが起こらなかった」と石破防衛相(当時)が陳謝した。 除籍後装備を下ろされ横須賀港内で係留される「さわゆき」 一番左。 廃艦後一時のへの転用の話もあったが諸事情により立ち消えとなった。 2014年1月横須賀港にて撮影 歴代艦長 [ ] 歴代艦長(特記ない限り) 代 氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考 1 山口壮一郎 1984. 15 - 1985. 24 5期 さわゆき艤装員長 プログラム業務隊付 2 佐藤存史 1985. 25 - 1987. 31 プログラム業務隊付 教官 兼 研究部員 3 綾 二郎 1987. 1 - 1990. 22 防大11期 防衛部運用課 防衛部第3幕僚室長 4 1990. 23 - 1991. 30 防大16期 海上幕僚監部防衛部防衛課 東京業務隊付 1991. 1 昇任 5 伊東正樹 1991. 1 - 1993. 23 防大17期 艦長 海上自衛隊幹部学校付 6 川井一志 1993. 24 - 1994. 21 防大18期 海上自衛隊第1術科学校教官 海上幕僚監部人事教育部人事課 7 清原 洋 1994. 22 - 1997. 25 防大16期 誘導武器教育訓練隊教務科長 司令部幕僚 8 金子吉宏 1997. 26 - 1998. 2 防大21期 艦長 1998. 1 1等海佐昇任 9 折田賢吾 1998. 3 - 1999. 12 防大21期 海上幕僚監部人事教育部教育課 10 米田直人 1999. 13 - 2000. 19 防大18期 副長 11 横田文夫 2000. 20 - 2002. 14 ・ 33期幹候 海上幕僚監部人事教育部厚生課 艦長 12 小島昌二 2002. 15 - 2003. 24 防大26期 海上幕僚監部防衛部指揮通信課 海上自衛隊幹部学校付 13 久保田一義 2003. 25 - 2004. 25 砲雷長兼副長 対潜資料隊海洋第2科長 就任時 2003. 1、2等海佐 14 池田徳重 2004. 26 - 2005. 31 防大28期 司令部訓練幕僚 人事教育部厚生班長 15 高田治彦 2005. 1 - 2006. 23 防衛部第3幕僚室長 16 大保信一郎 2006. 24 - 2007. 25 防大26期 海上自衛隊第1術科学校教官 艦長 17 米丸祥一 2007. 26 - 2008. 31 防大26期 舞鶴地方総監部管理部援護業務課長 就任時3等海佐 18 水田英幹 2008. 1 - 2009. 2 防大32期 運用長 海上幕僚監部総務部総務課 19 岡見雅行 2009. 3 - 2010. 19 ・ 45期幹候 指揮通信開発隊システム第2科長 司令部幕僚 20 福山 崇 2010. 20 - 2011. 10 司令部幕僚 自衛艦隊司令部 21 渡邉雄一 2011. 11 - 2013. 1 防大36期 統合幕僚監部防衛計画部計画課 防衛部第3幕僚室長 兼 第5幕僚室長 2012. 1 1等海佐昇任 脚注 [ ]• 「 2010年6月10日, at the. 」2010年6月3日• 共同通信 「 [ ]」2010年10月28日• 2013年4月1日• 2008年12月1日、青森海上保安部より取材用ビデオカメラがABAに返却されたが、同局でカメラを検証したところ、稼働はおろか録画の形跡もなかったことから、同局は取材前に墜落したのではないかという見解を示している。 放火が判明した当時は副機長が遺体で発見されていた。 機長の遺体はこの4日後(7月15日)に東通村沖で発見される。 ABA側の2人(アナウンサーとカメラマン)はその後も見つからないまま、翌6月17日に海上保安庁により死亡が認定された。 参考文献 [ ]• 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)• 『 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)• 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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はるゆき (護衛艦)

護衛艦 あさ ゆき

8m 深さ 7. 9m 3. 、第2護衛隊群隷下に第23護衛隊が新編され、同日付で就役した「」とともに編入。 、第21護衛隊に編入。 同年、に参加。 、第21護衛隊が隷下に編成替え。 、第22護衛隊に編入され、定係港もに転籍。 、特務艦に種別変更され、艦籍番号がASU-7018に変更。 に直轄艦として編入された。 なお、特務艦への改造工事で左舷中部に訓練魚雷用の揚収施設が設置された。 1998年3月24日、除籍。 参考文献• 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)• 『 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)• 『世界の艦船 第750集』海人社、2011年11月号 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 この項目は、に関連した 書きかけの項目です。 などしてくださる(・・)。

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さわゆき (護衛艦)

護衛艦 あさ ゆき

にて 基本情報 建造所 運用者 艦種 級名 艦歴 発注 起工 進水 就役 除籍 その後 、解体処分のため横須賀基地からに向け出港する。 要目 2,950 4,000 トン 130 最大幅 13. 6m 深さ 8. 5m 4. 15 mod. の4番艦。 「さわゆき」の名は、「沢に降る雪」即ち「沢雪」に由来する。 なお、艦艇名としては通して初の命名である。 艦歴 [ ] 「さわゆき」は、昭和54年度計画2,900トン護衛艦、2213号艦としてで1981年4月22日に起工され、1982年6月21日に進水、1984年2月15日に就役し、第41護衛隊に編入されに配備された。 、第1護衛隊群隷下に第48護衛隊が新編され同日付で就役した「」とともに編入された。 、に参加。 、第41護衛隊に編入されに定係港が転籍。 、遠洋練習航海に参加。 、第4護衛隊群第48護衛隊に編入。 同日付で隊番号の改正により第48護衛隊が第8護衛隊に改称。 、第7護衛隊に編入。 、第21護衛隊に編入され、再び横須賀に転籍。 、の大改編により、第21護衛隊が第11護衛隊に改称され、隷下に編成替え。 、遠洋練習航海に参加。 、東日本大震災おける災害派遣に出動。 発災後約1時間(出港時刻15:39)で出港し、初動段階から被災地(岩手県久慈沖)へ進出、護衛艦隊で最も早く出港し、活躍した艦の一つであった。 なお、~の間、福島第1原発冷却用の真水給水のためのバージ船えい航時の警戒艦として行動した。 、除籍。 最終所属は護衛艦隊第11護衛隊、定係港は横須賀であった。 総航程:758,102. 2NM(地球約35周分) 総航海時数:63403時間31分(2642日) さわゆき放火事件 [ ] 2008年7月6日午前3時35分ごろ、・横須賀港から・港に向け航行中、青森県・の東南東約25キロの海上で、艦前部の揚錨機室内で出火、火災が発生した。 同50分すぎに鎮火。 ところが、7月11日になって、火災の原因が21歳の海士長による放火であることが発覚し、の規律について問題となった。 この原因について(当時)は自衛隊が「極度の緊張感の中で色々な任務を遂行する場面が非常に増えてきた。 実任務が増え、行動し、(防衛についての)役割が極めて強く求められている中にあって、非常に忙しすぎる」ために起きた事件であるとした。 ただ、この事件の取材に向かっていた チャーターのヘリが墜落して4名が死亡 したことについては「こういうことが起こらなければ、痛ましいことが起こらなかった」と石破防衛相(当時)が陳謝した。 除籍後装備を下ろされ横須賀港内で係留される「さわゆき」 一番左。 廃艦後一時のへの転用の話もあったが諸事情により立ち消えとなった。 2014年1月横須賀港にて撮影 歴代艦長 [ ] 歴代艦長(特記ない限り) 代 氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考 1 山口壮一郎 1984. 15 - 1985. 24 5期 さわゆき艤装員長 プログラム業務隊付 2 佐藤存史 1985. 25 - 1987. 31 プログラム業務隊付 教官 兼 研究部員 3 綾 二郎 1987. 1 - 1990. 22 防大11期 防衛部運用課 防衛部第3幕僚室長 4 1990. 23 - 1991. 30 防大16期 海上幕僚監部防衛部防衛課 東京業務隊付 1991. 1 昇任 5 伊東正樹 1991. 1 - 1993. 23 防大17期 艦長 海上自衛隊幹部学校付 6 川井一志 1993. 24 - 1994. 21 防大18期 海上自衛隊第1術科学校教官 海上幕僚監部人事教育部人事課 7 清原 洋 1994. 22 - 1997. 25 防大16期 誘導武器教育訓練隊教務科長 司令部幕僚 8 金子吉宏 1997. 26 - 1998. 2 防大21期 艦長 1998. 1 1等海佐昇任 9 折田賢吾 1998. 3 - 1999. 12 防大21期 海上幕僚監部人事教育部教育課 10 米田直人 1999. 13 - 2000. 19 防大18期 副長 11 横田文夫 2000. 20 - 2002. 14 ・ 33期幹候 海上幕僚監部人事教育部厚生課 艦長 12 小島昌二 2002. 15 - 2003. 24 防大26期 海上幕僚監部防衛部指揮通信課 海上自衛隊幹部学校付 13 久保田一義 2003. 25 - 2004. 25 砲雷長兼副長 対潜資料隊海洋第2科長 就任時 2003. 1、2等海佐 14 池田徳重 2004. 26 - 2005. 31 防大28期 司令部訓練幕僚 人事教育部厚生班長 15 高田治彦 2005. 1 - 2006. 23 防衛部第3幕僚室長 16 大保信一郎 2006. 24 - 2007. 25 防大26期 海上自衛隊第1術科学校教官 艦長 17 米丸祥一 2007. 26 - 2008. 31 防大26期 舞鶴地方総監部管理部援護業務課長 就任時3等海佐 18 水田英幹 2008. 1 - 2009. 2 防大32期 運用長 海上幕僚監部総務部総務課 19 岡見雅行 2009. 3 - 2010. 19 ・ 45期幹候 指揮通信開発隊システム第2科長 司令部幕僚 20 福山 崇 2010. 20 - 2011. 10 司令部幕僚 自衛艦隊司令部 21 渡邉雄一 2011. 11 - 2013. 1 防大36期 統合幕僚監部防衛計画部計画課 防衛部第3幕僚室長 兼 第5幕僚室長 2012. 1 1等海佐昇任 脚注 [ ]• 「 2010年6月10日, at the. 」2010年6月3日• 共同通信 「 [ ]」2010年10月28日• 2013年4月1日• 2008年12月1日、青森海上保安部より取材用ビデオカメラがABAに返却されたが、同局でカメラを検証したところ、稼働はおろか録画の形跡もなかったことから、同局は取材前に墜落したのではないかという見解を示している。 放火が判明した当時は副機長が遺体で発見されていた。 機長の遺体はこの4日後(7月15日)に東通村沖で発見される。 ABA側の2人(アナウンサーとカメラマン)はその後も見つからないまま、翌6月17日に海上保安庁により死亡が認定された。 参考文献 [ ]• 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)• 『 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)• 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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