誕生 日 に 言 われ て 嬉しい 言葉。 母親から言われて嬉しかった言葉・心に残っている言葉は?

説教「讃美歌物語・・・・宗教改革者マルチン・ルターの信仰と讃美歌」

誕生 日 に 言 われ て 嬉しい 言葉

本日の暦データを配信致します。 std koyomi. vis. jp をご利用下さい。 mag2. 万事よし 日干支 辛亥 [かのとのい] 十二直 除 [のぞく] 小吉. 種まき,医療吉. 婚礼,土動かし凶 二十八宿 壁 [へき] 大吉. 造作,婚礼大吉 二十七宿 心 [しん] 神事,仏事,移転,旅行吉. 凶事は慎むこと 神吉日 [かみよしにち] 神よし とも書く. 万事忌む. 但し昼時は障りなし 日干支 壬子 [みずのえね] 十二直 満 [みつ] 大吉. 移転,旅行,婚礼,元服,普請など全て吉 二十八宿 奎 [けい] 大吉. 婚礼,棟上げ,旅立ち万に大吉 二十七宿 尾 [び] 婚礼,開店,移転,造作吉. 凶事は慎むこと 神吉日 [かみよしにち] 神よし とも書く. 神事に吉 帰忌日 [きこにち] 凶日. 天皇が、その年の新穀を伊勢神宮に奉納す る祭。 1871年に定められた時点では 9月17日であったが、1879年にこの 日に改められた。 国際デーの一つ。 10月 17日は戦前、天皇がその年の新穀を伊勢神宮に奉納した神嘗祭にあたり、 貯蓄の日も勤労の実りを大切にとの意味合いを持っている。 イギリスの工兵中佐パーマーの設計指導により、相模川 から野毛山の貯水地へ引水し、市街地へ給水していました。 (以下にも多数の記念日有り。 本日は花言葉から。 ただし、 「花言葉」という考えは、オスマントルコ帝国のイスタンブール生まれと言 われます。 18世紀にイスタンブールに滞在した人物が、このトルコ生まれの概念をヨー ロッパに持ち込んだものだと言われます(コンスタンティノプール駐在英国 大使婦人 Mary Worltey Montaguや、トルコに 4年間滞在した紀行家Aubry de La Mottrayeが伝えたと言われています)。 花言葉は外国の洒落た風習として、まず宮廷や社交界で使われるようになっ たようです。 ことにフランスのシャルロット・ド・ラトゥール Charlotte de Latour が『Le Langage des Fleurs』(「花の言葉」)を1819年に出版した 後、広く受け入れられるようになったようです。 直接言葉で思いを伝えるのではなく、花を贈ることで思いを伝える。 こう書くと、何ともロマンチックな雰囲気。 花言葉のこのロマンチックな雰囲気が社交界で人気となって広がったようで す。 そのためか花言葉には恋愛や人間関係、人物評という社交界の話題の中 心を成す言葉が多いです。 また全体に園芸種(ことにヨーロッパの)には多様な言葉がついているのに よく見かける花でも野生の花(ことに、日本にはあってもヨーロッパには無 さそうなものや、見た目がぱっとしない植物)には花言葉が見あたらないこ とが多いのも、花言葉のこうした歴史の故でしょう。 もちろん、日本花普及センター以外が、花言葉を選んではいけないという ことではありありません。 また、花言葉も沢山(中には相反するようなものも) ありますが、なぜでしょう。 この質問はよく頂くものなのですが、その理由は だって、沢山あるんだもの と言うしかありません。 そうした意味で誕生花選定の段階で既に曖昧さ があります。 またヨーロッパでは一般的でも日本では咲かない花であったり、なじみの薄 い花だったりしますから、何処で生まれた言葉かによっても変化する余地が あります。 こうして考えて行くと最終的には、 誕生花は選ぶ人によって変化する と言うことになってしまいます。 同様に花言葉も花自身が「私の花言葉は・・・」と語ってくれるわけでない ので、 花言葉は、誰かの創作である ということで、創作ですから人によって変わって当然。 創作者の発想は当然 その人の生まれ育った国の歴史や伝統に大きく影響を受けますし、その人の 好みもありますから、一つの花に違った言葉がついてしまうのも致し方ない。 こうして 沢山の誕生花・いろいろな花言葉 となってしまいました。 誕生花を載せるようになってから、「誕生花」といった文字がタイトルに入 った本を目にすると購入してくるようになり、その手の本だけでも十冊以上 となってしまいましたが、見事にまちまちです。 希に、良く一致する本もあるのですが、これは逆に「共通の種本」があるっ てことなんでしょう。 どの本もまちまちなので、選んでいて結構「混乱」しました。 正直思いの外 大変な作業でした(今も、時々追加修正しています)。 (『暦のこぼれ話』に取り上げて欲しい話があれば、 magazine. std koyomi. vis. jp までお願いします。 std koyomi. vis. こうして、また年末、正月を迎えるんですよね。。。 e-arfさんほどではないですが、誤字を見つけて、 なぜか謎ときしたみたいにうれしいので報告します。 皆さんに楽しんで頂けるよう、あちらこちらにさりげなく誤字脱字をちりば める苦心が実ったというものです・・・(真っ赤な嘘)。 きっと、本日も何処かに私の「苦心の跡」が見つかるに違い有りません。 隅掘り隊の皆さん、本日も楽しんで下さいね。 ごめんなさい。 std koyomi. vis. 隊員の皆さん、報告有り難うございました。 またの活躍を期待します。 mag2. std koyomi. vis. htm をご覧下さい。

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男子がキュンとする言葉!胸キュンが止まらない【20の言葉】

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説教「讃美歌物語・・・・宗教改革者マルチン・ルターの信仰と讃美歌」 「讃美歌物語・・・・宗教改革者マルチン・ルターの信仰と讃美歌」 2005年2月27日 「それは、『アブラハムは神を信じた。 それは彼の義と認められた』と言われているとおりで す。 だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。 聖書は、 神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福され る』という福音をアブラハムに予告しました。 それで、信仰によって生きる人々は、信仰の人 アブラハムと共に祝福されています。 律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。 『律 法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるから です。 律法によってはだれも神の御前で義とされないことは、明らかです。 なぜなら、『正し い者は信仰によって生きる」からです。 律法は、信仰をよりどころとしていません。 『律法の 定めを果たす者は、その定めによって生きる』のです。 キリストは、わたしたちのために呪い となって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。 『木にかけられた者は皆 呪われている』と書いてあるからです。 (ガラテヤの信徒への手紙3:6-14)」 マルチン・ルターはそのプロテスタントの教会を生んだ人としてあまりにも有名ですが、実 は音楽家としてもすぐれた才能を持ち、教会を音楽の面でも改革した人でした。 それまでの教 会、カトリックでは、ミサでは、司祭と聖歌隊が主に歌って会衆はほとんど聴くだけでした。 そして司祭と聖歌隊が歌うのも単純な旋律の讃詠で、以前ちょっとブームになりましたグレゴ リアン・チャントやそのたぐいです。 グレゴリアン・チャントがブームになったには理由があ るわけで、現代のストレスの多い時代に生きていて、このチャントの静かな旋律には傷ついた 魂を癒す力がある、いわゆるヒーリングに役立つのは確かだということです。 私もそのCDを聴 くのが好きです。 旋律を聴いてヒーリングに役立たせるにはいいのですが、歌詞はラテン語で すから、礼拝に参加している会衆は意味が理解できずにいました。 それをルターは会衆全員が、 それも自国語で歌うように改革したのです。 彼は1483年、中部ドイツのアイスレーベンというところで生まれました。 父ハンスは農民で したが、鉱山で働いたり溶鉱炉で鉄を作ったりしていました。 エルフルト大学に進んだマルチ ンは修士の学位を取り、法律学の課程に入りましたが、名誉と財産のためばかりを追求する風 潮に満足できないでいました。 折しも、よく知られていることですが、激しい雷雨に打たれ、 命が助かったら修道士になる、との誓いを口走ってしまいます。 それがきっかけとなって、彼 は突如大学を中退し、父親の怒りにもかかわらずエルフルトのアウグスチヌス修道会に入って しまいます。 しかし修道院での彼の生活は苦悩に満ちたものでした。 それは「塔の経験」と言 われています。 修道院の塔の中の一室で彼は苦しみ続けたのでした。 修道士として熱心に研鑽 し、修行しているにもかかわらず、いや、本気で追求しておればこそと言えますが、彼は罪の 問題に苦しんでいました。 修道士としての戒律を守り苦行に耐えようとしても、神によって示 される標準からすれば自分の罪の深さが益々自覚されるだけでした。 神の完全な聖と義の標準 から来る審判にはとうていたえられそうにない、人間はいかにすれば神の前に義と認められる のか、いわゆる義認の問題です。 例えば皆さんは、聖書の次のような記事をどう受け取ります か。 先ず9ページ、マタイ5:48を見てください。 「それだから、あなたがたの 天の父が完全で あられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。 」 同じことがコリントの信徒へ手紙二 の 13:11でも言われています。 「終わりに、兄弟たち、喜びなさい。 完全な者になりなさい」 とあります。 これらを基準にして、330ページ、コリントの信徒へ手紙二5:10を開いてみてください。 「わ たしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとし ていたときに (つまり、この世に生きていたときに) 行ったことに応じて、報いを受けねばな らないからです」 と言われているのです。 これに耐えられる人はいるでしょうか。 耐えられる 人は誰一人いないはずです。 パウロがローマの信徒への手紙3章で魂を絞り出して嘆いたよう に 「正しい者はいない。 一人もいない。 悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。 皆迷い、 だれもかれも役に立たない者となった。 善を行う者はいない。 ただの一人もいない(10-12)」 のです。 浄土真宗の開祖親鸞上人は罪から逃れられない自分を嘆いて「地獄は一定(いちじょ う)の住みか(自分は地獄へ行って住むことが決まってしまっている)」と申しました。 パウ ロもローマの信徒への手紙7章で同じように告白して 「わたしはなんと惨めな人間なのでしょ う。 死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか(24)」 と言ってい ます。 これらは神の前に、あるいは仏の前に真剣に立つ者なら感じないではいられないことで した。 マルチン・ルターもまた、神様の前に裸で立った人間でしたから、パウロや親鸞と同じ 思いにとらわれたのです。 1507年24歳の時、マルチン・ルターは司祭に叙せられますが、初めてミサを司式した時、彼 の心は喜びによってではなく、恐怖のためおののきました。 ミサの式文の「われらは、生ける、 まことの、永遠の神に祈る」という言葉まで来た時、この罪人である自分が永遠のまことの神 に話しかけているということの恐ろしさに打ちのめされ、言葉を失ってしまいました。 その後 もルターはウィッテンベルグの大学で聖書を講義し続けますが、常に罪の意識に悩み、聖書の 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。 (マタイ6:33)」 と言われる 「神の義(神の 正義)」という言葉に恐怖を覚え続けていました。 それで終わってしまっては、彼は滅びるし かなかったでしょう。 しかし、親鸞が阿弥陀如来の本願に救いを見いだし、パウロがイエス様 を通してもたらされる神様の赦しの愛に触れて救われたように、ルターもまた大きな転機を迎 えます。 思えば、このルターの経験から今の私たち全プロテスタント教会の信仰の道が開けた のでありました。 その次第をもう少し詳しくお話ししましょう。 1516年から次の年にかけて、彼はガラテヤの信徒への手紙を講義していました。 その中で彼 は大きな発見をします。 それは3章11節でした。 先ほどは司会の方が新共同約で読んでくださ いましたが、口語訳のほうが意味が理解されやすいと思われますので、それで読んでみます。 「そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。 なぜなら、『信仰による義人は生きる』からである。 」 というところです。 信仰による義人と いうのは信仰によって義と認められる者という意味でしょう。 神様は、ありのままの自分を、 そのままの姿で受け入れてくださる、それを信じる時、信じて神様の懐に飛び込む時、あなた は裁かれるのでなく、赦され、つまり義人でないのに義人とされて、すくわれる、永遠の命に 入れていただけるというのです。 一生悪いことばかりしてきた犯罪人が、最後の最後にイエス 様にお縋りした、そのたった一つのことで、イエス様はおっしゃった、 「はっきり言っておく が、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカによる福音書23:43)」 と。 余談になりますが、仏教の方で「引導を渡す」ということが言われます。 浄土宗なんかでは 葬儀中ドラをジャンと鳴らして、「迷わずに冥土へ行け」とでも言うのでしょうか、「死者を 導いて浄土へ手引きする」ことです。 成長の家の谷口雅春氏は、その著書『生命の実相』の中 で「キリスト教には『引導』がない。 『引導』を渡してくれないキリスト教の牧師に葬式をし てもらっても何の役にもたたない」と言っています。 しかし私はキリスト教にも、いやキリス ト教にこそ立派な引導がある。 それがこのルカ23:43の 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にい る」 というイエス様のお言葉だと思うのです。 この言葉の中には、信仰によって罪の赦しが与 えられ、永遠の生命を授かるという福音の真理が詰まっています。 素晴らしい言葉であり、生 きている者はもとより死者を天国に送り込む、どんな引導の真言陀羅尼よりもすごい言葉だと 思うのです。 葬儀式の中で、お棺の前で、この言葉を大きな声で言うといいのではないでしょ うか。 さて、では律法は何の為にあるのでしょうか、パウロはローマの信徒への手紙5章で言いま す。 「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。 しかし、罪が増したと ころには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。 こうして、罪が死によって支配していたよ うに、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導 くのです。 (20-21)」 と。 正義を求める要求があってはじめて、それを乗り越えて赦す愛があ り得るのです。 律法はまさに神の愛が恩寵であることをあなたに悟らせるものだったのです。 こうして主イエスの十字架のあがないによって、罪のあるままで救われるという福音(嬉しい 知らせ)が明らかになります。 これは神様がイエス様を通して世に示され、パウロによって確 立された信仰でした。 しかし、ルターの時代のカトリック教会は(現在のカトリック教会のこ とではありません。 )当時のカトリック教会は免罪符を買うことで天国へ行けるというような、 それこそ迷信のようなことに傾いてしまっていて、本来の福音を見失っていました。 ルターは 何も新しいことを言い出したわけではありません。 埋もれていたもの、隠されていたものを掘 り出したのです。 彼は、それまでの罪悪感から、具体的にどういうものであるかはわかりませ んが、それから解放された大きな喜びを次のように言っています。 「私は自分が生まれ変わっ て、天国への入り口を入ったのを感じた。 聖書全体が新しい意味を持った。 それまでは『神の 義』という言葉が私を恐怖におののかせていたのだが、今ではそれは、私にとって、甘美なも のに変わった。 『信仰による義人は生きる』というパウロの言葉は私には天国の扉になった。 」 この確信に立って、彼は宗教改革に立ち上がります。 1517年10月31日、ウィッテンベルグ城 教会の扉に、いわゆる95箇条の提題を貼り出し当時のカトリック教会の考え方に抗議プロテス トしたのです。 ここから改革者の教会のことを抗議する者、プロテスタントというようになっ たのです。 ところで、「信仰による義人は生きる」と称えたパウロ自身がルターと同じ体験をしている わけです。 元々パウロは熱心な、律法学者、律法主義者でした。 律法を遵守することで神様か ら認めていただくという考え方に立っていました。 そしてあのステパノの殉教の時にそうであ ったように、律法主義を廃棄しようとするイエスの教えを奉ずる人々を迫害弾圧する側に廻っ ていたのです。 しかし、そのパウロの中には、どうしてもそれでは救われない自分があったの です。 彼は律法主義に背く人々を荒々しく迫害しながらも、その律法では、どうしても救われ ない自分に苦しんでいました。 彼は ローマの信徒 への手紙の3章20節で 「なぜなら、律法を実 行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。 律法によっては、罪の自覚 しか生じないのです」 と言っています。 さらっと言っていますが、彼自身の大変な苦悩、葛藤 から出た言葉なのです。 その苦しみはちょうど、ルターの「塔の経験」と同じものでした。 迫 害の途上、よみがえりの主に出会って一時的に目が見えなくなり、よれよれになって、ひとり のキリスト信者のもとにたどり着き、手を置いて祈ってもらい見えるようになります。 聖書は その様子を目からうろこのようなものが落ちたと記述しています。 律法主義では救われないこ と、イエス様の十字架の愛により、神様の赦しを経験したことは、まさに 180度のUターン、 回心、これまで見えなかったものが見えてくることでした。 そのパウロに学んで、ルターも同 様に目からうろこが落ちたのです。 こうしてイエス様からステパノ、パウロを経て、伝えられ て来た福音信仰の路線が、長い間おかしくなっていたのが、ルターによって掘り起こされ、再 びはっきり姿を見せたのです。 こうして福音主義に立つプロテスタント教会が誕生したのです。 カトリック教会の名誉のために付け加えますが、現在のカトリック教会の考え方は多少のニュ アンスの違いはありますが、私たちのものとほとんど同じです。 万人祭司主義というのは、神の前には一切の人 間は平等であるから、すべての人が直接神と向かい合うべきこと、つまり基本的にはだれもが 祭司であるということ、聖書主義は聖書のみを神の言葉として尊重すること、教皇がこう言っ た、教会がこう言ったというのでなく、直接聖書から聞くということです。 信仰のみの立場と いうのは、救いは人の行いによらず、信仰によってのみということです。 これらはすべて、今 日のプロテスタントの教会の、いやカトリックも含めてキリスト教会の考え方の基本になって いることです。 ルターが教会音楽の点でも優れた改革者であったことはお話しましたが、彼は宗教改革運動 を勇気づけるため多くの詩を作り作曲をしました。 ウィッテンベルグ讃美歌集には彼の作った 36曲の讃美歌が含まれているということです。 その一つが有名な旧讃美歌週の267番「かみ はわがやぐら」、讃美歌21では377番「かみはわがとりで」です。 信仰によって義とされる ということで基本的には揺らぐことはなかったのですが、それでも信仰の道は平坦ではありま せん。 讃美歌集には1529年になっていますが、実際には1527年、ある霊的な試練の中でこの讃 美歌を作詞作曲したと言われています。 歌詞を読みますと、彼の信仰の戦いがいかに激しかっ たかがわかります。 4節の3行目は 「わが命も わがたからも とらばとりね」21では「わが命 わがすべて 取らば取れ」 となっていますが、1954年、昭和29年まで使われていたもう一つ前 の古い訳では 269番 「わが命も わが妻子も とらばとりね」 です。 多分原詩に近いものでしょ う。 ちなみに、ルターは1525年、42歳の時、この讃美歌を作る2年前、カタリーナ・フォン・ ボーラという女性と結婚していました。 この点でも彼はカトリックの伝統を改革したわけです が、それはともかく、この時の試練というのは、その大切な妻も子も失ってしまうかもしれな いというものだったのでしょう。 中田羽後という人はこの昭和29年の改訳を批判して、 「『妻 子』と『宝』では重みが違う、そういう改訳はルターの精神を損なうものだ」 と言っています。 ただ、別な考え方をすれば、妻や子どもを 「とらばとりね」 と、処分できる物のように言うこ とに対する人権上の抵抗感があって、その配慮から、訳を変えたのかもしれません。 いずれに せよ、ルターの信仰と勇気に学びたいと思います。

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誕生 日 に 言 われ て 嬉しい 言葉

上司から言われた発言で嫌だった言葉ってありませんか? 逆にこんな言葉を言われて嬉しくて頑張ろうと思えた! なんてこともあるのではないでしょうか。 今回は一般社団法人日本能率協会がビジネスパーソン1000人を対象に職場や仕事に対する考えについて意識調査を基に上司から言われてイヤだと思う言葉、やる気がでる言葉を紹介します。 するとこのような結果に! 1位「使えないな」 33. 一方男性は「上が言っているんだから、やれ(23. 仕事に対して、プライドや意思を強く持っている人が多いように感じられます。 それを上司の考えと合わないと否定されたりするのは誰しもがイヤですよね。 全体でみると人間性を否定されること、都合よく責任転嫁されること、聞いても面倒がって教えてくれないこと、などが嫌がられています。 社会に出て、理不尽なことで怒られることはあるかもしれません。 がんばれ社会人……ですが上司の人はあまりにひどい言い方や注意の仕方はやめた方が良いですね。 【男性】 1位「ありがとう」 28. 9ポイント、「頑張ってるね」が13. 2ポイントも高いことがわかりました。 やってあたりまえと思われるのではなく、その過程を見てもらいたいという意識の表れだと推測されます。 一方男性では「いいアイデアだ」「期待しているよ」「あなたにしかできない」と仕事内容で認められるのが嬉しいということですね。 男性の仕事へプライドは感慨深いものです。 全体では「ありがとう」が1位でこれは仕事以外においても大切なこと。 感謝を伝えることも忘れてはいけません。 感謝とねぎらいの言葉が部下のモチベーションアップにつながるのです。 部下がこんな風に考えているということがわかりますね。 お互いに良い関係を保つためにこれからの職場関係で是非参考にしてみてはいかがでしょうか?感謝を忘れずに接してみてください。 (なかがわみずき) 情報提供元/一般社団法人日本能率協会 2018. 3 作成.

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